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上ホロ雪崩事故報告書を読む

S&Bさんの上ホロ雪崩事故報告書をアップしたというお知らせがsotoからあったので、改めて正式版を読んでみた。報告書が一般的にどのようなものか知らないけれど、結構な分量がある大作だと思う。

詳細に書かれた「行動記録」は、山岳ドキュメントを読んでいるような臨場感があった。Sさんが雪崩に巻き込まれてから歩けるようになるまでは、読んでいて縮み上がる思いがするが、最後まで読んでようやくホッとした。冬山に入る前にこの行動記録を読んで、雪崩発生から救出までの緊迫感を味わっておくと、気持ちが引き締まっていいんじゃないだろうか。

そして、やっぱり興味があったのが「事故原因の分析」だった。今回じっくり読んでみると、主に2つ、メンバーへの配慮の不足と、雪崩への警戒心の薄さが原因として挙げられていた。ただし、前者の配慮については、今回の雪崩事故とは関係がないように思う。これが原因となって事故が起きる可能性があったということだろう。

一方、後者の雪崩への警戒心については、入山前、登高時、滑降時と繰り返し問題となっている。警戒心が薄かった結果として、危険なルートを選択することになったようだ。そして、この点は「総括」でも再度触れられているとおり、弱層テストを必ずすべきだというのが結論だった。もちろん、今度は弱層テストの結果でどのような判断をするかが問題になるだろうけど、客観的判断材料が多い方がヒューマンファクターを排除できるはずだ。実際、好天が続いていた十勝連峰に先シーズン入り、弱層テストなしで滑走を行った。改めて反省する。

「総括」の最後には、無事救出することができた要因について書かれている。その一つである「幸運」の具体例として挙げられた埋没状態は、結果として、もう一つの要因である「Bさんの迅速な救出活動」につながった。要因として書かれている「幸運」のうち、埋没の姿勢などはなかなか自分ではどうすることもできないだろう。埋没深を浅くするには密度を小さくするために体積を大きくするのがいいだろうが、仰向けになるにはザックの方が密度が高くなる必要があるだろう。そんな道具はあるだろうか?

天気は自分で制御出来ないものの、非常事態のことを考えれば、出来るだけ天候の良い日を選んで山行に出かけることが大事だろう。状況にもよるだろうけど、基本的には天気がいい方が危険は減ると思う。

最後の「体から外れなかったスキーが雪面から出ていた」ことは、悩ましく思う。スキーは雪崩に巻き込まれた時に沈む原因となるので、リーシュコードを付けないことが一般には勧められているように思う。けれども、今回は解放されなかったスキーが目印になったことが、迅速な救出につながった。このようなことが例外なのだとしたら、「幸運」に期待するのではなく、リーシュコードは使わないようにすべきなのだろう。

ちなみに、報告書にはなかったけれど、救出の際にスコップで掘った時に鼻をちょっと切って出血したそうだ。これなんかも実際心配なことで、掘り出す時にスコップで致命傷を与えることってないんだろうか?

ところで、当初、S&Bさんは雪崩事故にショックを受けているだろうと思っていたのだけど、11/25には札幌国際で滑っていたし、ゲレンデばかりか普通に山にも入っていたそうだ。山スキーをしなくなってしまいはしないかと心配していた自分がアホらしくなる。といっても、事故からの教訓は大きいようで、報告書でも触れられている登山計画書は、今では必ず提出しているそうだ。また、アナログビーコンから一番性能がいいという噂のデジタルビーコンPieps DSPに変更して、ゾンデも買ったらしい。それに、「単独で行って埋まったら誰にも助けてもらえない」というSさん本人の言葉には説得力があった。Bさんと行っていたからこそ、今一緒に滑ることができるわけだ。ということで、冬山には絶対に一人で入るべきじゃない。

それにしても、先日のニセコバフバフでのSさんとF木さんの会話は衝撃的だった。

F木さん:「どれくらい気を失ってたの?」
Sさん:「15分くらい」
F木さん:「ボクなんか16時間だ」

向かいでそう笑顔で話している二人を見て、苦笑いも出なかった。恐るべしHUSV。

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コメント

できれば、破断面のアップの写真(日本雪氷学会北海道支部の調査チームによる)をわかりやすく書き換えてほしかった。弱層テストをするスキーヤーの感覚から言えば、下(積雪が75cmってことは地面)から何cmかよりも、上(足元)から何cmという表記の方が感覚的にわかりやすい。この写真を最初見たとき、正直何が起きたのかパッと見わからなかった。

・破断面は上から何cmなのか→44~46cm
・ハードスラブの厚さは何cmなのか→39cm
 (スコップだけで厚さ約40cmのハードスラブを掘れるか?)
・破断位置は具体的に斜度が何度から何度に変わるような場所だったのか?(斜度変化について)

あと、救助の費用ってどうだったんだろう?

投稿: O | 2008年2月 1日 (金) 19時29分

そうそう。確かに、普段と上下逆で分かりづらかったよね。でも、破断位置については、雪氷学会の調査の不備?で、報告書とはまた別なんじゃないかな。科学的、客観的データは確かに大事だけど、報告書にみられるヒューマンファクターの方が、自分には強い戒めになるよ。斜度変化の値とかで、滑るかどうか決めないしょ?

救助の費用はオレも気になったけど、知るのが怖くて聞かなかったな。やっぱり保険入ろうか?

投稿: H本 | 2008年2月 1日 (金) 20時11分

報告書は心理面などとてもリアリティーがあってよく書けていると思う。きっとこれ読んだらかなりいい"ヒヤリハット効果"があるのではないかと思う。入山前から救出に至るまで、実に多くのヒューマンファクターに対する反省がなされていて自分にも戒めになった。だけど、結局、どのファクターが最も今回の事故に結びついたのかがピンとこなかった。なぜ事故が起きたかを知るには、個人的なヒューマンファクターを細かく議論するのも大切だけど、そもそも、どういう自然環境・社会状況の場でこの雪崩事故が起きたかってことを正しく認識しておかないと人間の勝手な想像論や自己責任論だけが先走ってしまう気がする。

今回の事故の主な原因は次の2つではないだろうか?
(1)「堅い雪」では表層雪崩は起きない(弱層はない)と考えたこと
(2)斜度が急に変わる「急斜面」(尾根から崖)に入り込んだこと

(1)については、堅雪(ハードスラブ型)の雪崩に対する認知度は専門家以外ではあまり高くなかったという背景があると思う(1994年12月の北大ワンゲルの事例はあったにしても)。(2)については、(1)の理由によって入ったという見方と、そもそもスキーヤーが急斜面を危険だと思っていなかったという見方があると思う。

入山前にリーダーを決めていなかったとか、ゾンデの不携帯、入山不届けなどは、大いに反省の対象になるべきものであるが、雪崩の発生要因ではないだろう。

事故原因の根幹は、スキーヤーの当時の心理的態度("うかれ"など)というよりは、雪崩リスクに対する基本的な知識・情報の欠如なのではないかと思う。スキーヤーが「堅雪ならば急斜面でも雪崩は起きない」という"安全神話"に陥っていた可能性は高い。これは当人が悪いとかいうことではなく、雪や山と共生していく社会全体として知識共有の問題とみるべきだろう。なぜなら、雪崩の事故事例は交通事故などと比べると圧倒的に少なく、それゆえに知識が十分に共有されてはいない。そういう社会では安全神話がつくられやすい傾向にあるからだ。この事故から10日後に起こった雪崩死亡事故も、毎年同じ場所で雪上訓練していて大丈夫だったからという根拠のない安全神話の崩壊であった。安全神話の形成は、社会における広い意味でのヒューマンファクターなのかもしれない。危ないということを言うことは簡単であるが、どういうときに危ないかを説明し、危ないということを納得させることに関しては社会は苦手なようである。

とにかく、堅い雪で斜度の変わる急斜面で発生したというのが今回の雪崩の特徴で、この意外と単純と思える特徴(情報)を正しくつかんでおくことは、今後の現場の意志決定においてとても参考になるのではないかと思う。交通事故の場合も、「道幅何mの見通しのない左カーブで、路面状況はアイスバーンで下り坂、Uターンラッシュで…云々…」という解説が必ずある。こうした「客観的判断材料が多い方がヒューマンファクターを排除できるはず」(H本)と思う。とくに、自分でそう何度も経験できないような"低確率の災害"(自然災害の多くはそうである)に対しては、もっと世界的、分野横断的な知識集めが必要であって、これはとても個人の力だけでできることではない。国内だけでは限られているが、世界中の雪崩事故の事例(成功と失敗)を集め、啓蒙する専門家の取組の重要性、それをサポートしていく社会の責任がここにあるのではないだろうか。今回の報告書も単なる個人の反省文ではなく、そのような大きな意義を持って世界へ発信されてほしいと思う。

日本雪崩ネットワーク( http://nadare-net.jp/think.html )では、"意志決定のピラミッド"という雪崩啓発のアイディアを示していて、「良い意志決定のためには、ピラミッドの底辺(経験・知識・情報)を大きくしていくことと、情報の正しい解釈が大切」だと述べている。また、意識的か無意識かを問わず、誰でもピラミッドの下から上へのプロセスを経るという。ピラミッドの頂点にある個人の意志決定を安全で豊かなものとするためには、それを支える底辺の力(社会のバックアップ)が不可欠であることをこれは示している。当事者への自己責任や自助の押し付けで始終せず、科学知識や安全ノウハウが、それを必要とする人に正しく伝わり、社会が責任持って個人を支えていけるような成熟した減災社会のあり方を考えていきたいと思う。

ちょっと真剣に書きすぎた、勘弁m(__)m

投稿: O | 2008年2月 2日 (土) 16時10分

真剣に書いてくれるのは構わないけど、仮報告書を見せてもらった時点で宍倉君に意見は伝えた?宍倉君たちの報告書にそこまで求めるなら、公開する前に問題点を指摘しておいた方がよかったと思うよ。伝えたのなら仕方がないけど。

中身だけど、事故原因を絞るなら、Oも書いている通り、(1)に集約するんじゃないか。原因の根幹と書くと大げさに聞こえるけど、事例がほとんどないから「起きづらい」が「起きない」になってしまったんでしょ。スコップは埋没した仲間を掘り出すための道具ではなくて、弱層テストをするための道具なんだと思わなきゃダメだね。秋田谷先生も、「とにかく60 cm掘れ」と言っていた。社会が苦手というか、岡田先生が何度も言っていたと思うけど、「人間は痛い目に合わないと分からない」んだよね。今回、宍倉君たちのおかげで、やっぱり堅い雪でも表層雪崩は起きると分かったんだから、みんなちゃんと掘りまくれ!

斜度の変化と破断面との関係がよく分からないので、情報があるなら知りたいね。それに、定量的な考察ができるならやって欲しいし、実験室で他の物体でハードスラブを再現して、弱層の強度を調べることもできるかもしれない。既にやっているのかな?研究者のような専門家にはそうした研究を社会に還元して欲しいと思う。

宍倉君たちのような一般スキーヤーから専門的な研究へのアプローチは大変だろうけど、今回の報告書は情報を提供することで、「意思決定のピラミッド」の底辺を大きくしてくれたはず。今度の事故と減災、研究を結びつける役割を担う存在が必要だと思うんだけど、どうしたらいいんだろうね?JANとかがやってくれるんだろうかな。Oは雪氷学やんないの?

投稿: H本 | 2008年2月 2日 (土) 19時40分

>仮報告書を見せてもらった時点で宍倉君に意見は伝えた?

いや、最初仮報告書を読んだときは、生々しい臨場感に吸い込まれるようにして全体をざっと読んだだけ。今回、正式版を読んで改めていろいろなことを考えさせられたよ。決して今回の報告書へケチつけてるわけではなくて(そう思わせてしまったのなら申し訳ないけど)、社会批判として書いたつもり。一つの雪崩事故の事例を考えることで背景にある全体の問題も見えてきた気がしたので。社会の大きなことは誰かが気がついて、気がついたときに、そのことを声に出していかなければ解決しない(というか議論にもならない)と思うから。

>「人間は痛い目に合わないと分からない」んだよね。

自然災害も事故もそういう悲しいことが多いよね。ヒヤリハット(他人の事故を見て、ヒヤリとしたりハッとしたりすること)を今後の戒めにしなくては!

>今回、宍倉君たちのおかげで、やっぱり堅い雪でも表層雪崩は起きると分かったんだから、みんなちゃんと掘りまくれ!

確かに弱層テストをためらわずにやりたいね。
でも、今回の場合は、この弱層テストには相当危険が伴うんじゃないかな。弱層のチェックは、入り込む斜面と類似の場所(雪質・傾斜・斜面の向きに関して)で行うのが理想だけど、今回の場合は対象はかなりの急斜面で、弱層テストのタイミングをはかるのが難しい。滑走前の尾根上のテストか、登行時の谷底か、あるいは別の尾根(D尾根)でのテスト結果から予想するしかない。

そうすると、事故の原因としては、(1)だけじゃなくて、(2)の斜面状況選びにそもそも難しい問題があったということになる。今回の雪崩は崖(と呼んでも過言でないような場所)で発生した、というのがもう一つの事実であり、今回の事故を語る重要な"情報"なのではないだろうか。スキーの上級者以外は入るのを躊躇うような急傾斜の場所で起った雪崩であり、掘れば解決するという種の問題ではなく、弱層テストすら困難な場所だった、という見方もできるのではないだろうか。総じて、前回指摘した(1)と(2)という、そもそもの二つの基本的な認識の間違いが今回の雪崩事故の背景にあるのではないだろうか。

メディアやwebで読み聞きするのは、「過信」や「態度」などヒューマンファクターの積み重ねによって事故が起きたという論調が多い印象を受けるけれど(それはそれで大切な教訓であるが)、ヒューマンファクターに注意していて避けられる問題と避けられない問題とがあるとすれば、上記の認識の間違いは、明らかに後者であると思う。「そもそも急斜面を滑走対象にするのは間違い」(とまでいう気はないけれど)という強いメッセージを含んでいたのが今回の事故の性格だと思う。

>今度の事故と減災、研究を結びつける役割を担う存在が必要だと思うんだけど、どうしたらいいんだろうね?JANとかがやってくれるんだろうかな。

研究者に頑張ってもらうのはもちろんだし、彼らをサポートする社会の存在も必要だろう。なぜなら、啓蒙・教育活動などは学術論文にならないので、研究として評価されにくい現状があるからだ。まして、雪は、秋田谷先生いわく最低30年地道な観測研究がなければ分からないのだから、1、2年で論文を書かないと出て行けと言われている大学などの研究者は苦しい状況だ。でも世の中はなんちゃって科学者ではなく彼らの知識と助言を必要としている。現場を大切にする研究者へのサポートが必要だと思う。
最近、webなどを通じて今まで明るみに出てこなかった個々の事故事例が共有されるのはとてもいいことだと思う。現地で調査研究を支援する動きやハザードマップをつくる動き(例えば三段山クラブなど)も出てきているので、とても心強い。特効薬はないかもしれないが、地域と研究者との連携に期待しよう。

>Oは雪氷学やんないの?

雪見ると滑りたくなるので無理(笑)。

投稿: O | 2008年2月 3日 (日) 13時37分

社会の問題というか、人間の問題というか、根本は同じだとは思う。メディアの偏向報道とかで、あらぬ方向へ誘導されたりすることもあるけど、結局、社会やコミュニティを形成しているのは自分たちなんだから、自分にできることからやって、広めて行くのが大事だと思うよ。ビーコンチェックや弱層テストをしているのを見れば、必要性は伝わるだろうし、一緒に行くメンバーに三種の神器の携帯を促すとか、身近なところから出来ることをこれからも続けて行こう。

何が何でも急斜面を滑りたいなら、ロープで確保して弱層テストをするとか、方法はあるんじゃない?

急斜面が危ないなんてことは、誰でも知ってるよね?知ってるからこそ、今まで急斜面に一緒に入ることはなかったよね。それでも、急斜面を滑った方が面白いよね?急斜面は危険だからって、どんなに雪が安定していても滑るのを我慢できる?冬には滑らないような斜面を春には滑りに行くのって、雪の安定性を評価したからでしょ?滑るのを我慢できる人はまず冬山で命を落とすことはないだろうけど、我慢できずに急斜面を滑る人より楽しい思いはできないと思わない?楽しめたとしても、楽しさの質が違うよね?だから、急斜面を滑りたいなら、危険性が高くなるほどより慎重に危険性を評価しなきゃいけないんだと思う。でも、この評価の段階で、必ずヒューマンファクターが効いてくるから、出来る限り客観的に判断すべきだということじゃない?

急斜面じゃなくたって雪崩は起きるんだし、完全に雪崩事故をなくしたいなら、滑走可能な斜度の上限を決めて、それ以上は立ち入り禁止にしてしまえばいい。でも、そんなの面白くないよね?カミフの雪崩ハザードマップだって「雪崩要注意エリア」であって、「立ち入り禁止エリア」じゃない。

研究者の啓蒙・教育活動を支援する基金とかを山岳会とかが集まって作るとかしないとダメかな。研究者としての評価が「学問」の世界の評価ばかりじゃなくて、社会の評価が大きく反映されるようにならないと、研究者のモチベーションも上がらないだろうし。むしろ、大学にこもっている研究者なんかじゃなくて、雪山を滑りまくって何度も雪崩にも遭っているような人が研究した方が、社会的価値の高い研究が出来そうだ。大学などが研究機関でもいいけど、大学とかでしか研究できないのは変だ。もちろん、ちゃんと連携できれば、きっといい研究になると思う。

なんか長くなったし、研究については今度ちゃんと話さなきゃいけないね。

投稿: H本 | 2008年2月 4日 (月) 12時47分

どんどん長くなっていくけど、いい議論ができればと思うので書くよ。

もちろん、H本の言うように、身の回りのところから心がけていくことは大事なことだと思う。最後の最後は自分の身は自分で守るしかないからね。そこに疑問は感じてない。そのために自分たちで雪崩の具体的な情報集めをし、客観性を高めることは大切だと思う。

一方で、雪崩事故の教訓を生かすために人ができることは、身の回りのことだけじゃないと思う。社会全体の安全性の底上げなど、雪山に関わるすべての人たちが協力してやったほうがいいことがある。これは「俺は専門家じゃないから興味がない」とか、そういういい訳にはできない責任が含まれている問題だ。

>何が何でも急斜面を滑りたいなら、ロープで確保して弱層テストをするとか、方法はあるんじゃない?

それはいつも山で考えてるよ。ロープ確保は山の基本だからね。ただ、確保者の安全という問題も出てくるね。

>急斜面が危ないなんてことは、誰でも知ってるよね?

人によって急斜面の認識に大きなズレがあると思う。上ホロの報告書を読んでも、現地に行ったことのない人は、どのくらい急なのかわからないと思う。全国のスキーヤーへの今後の教訓とするためには、斜面の具体的な情報は結構大切なんじゃない?雪崩の基本的な情報はきちんと共有したいね。

>急斜面は危険だからって、どんなに雪が安定していても滑るのを我慢できる?

具体的なことがわからないので、現場で本当にできるか自信はないけど、我慢できると思う。雪の安定性評価の問題は、不確定要素の非常に大きい問題なので、弱層テストも完璧な答えを出してはくれないから。少なくとも「我慢する」っていう選択肢を持っていることと、それを捨ててしまうことでは意味が大きく違う気がするので、「我慢する」という選択肢はどんなに雪質が安定していてもいつも持っていようと思う。自分にとって安全でも、他の人にとって安全とは限らないし、感じ方も違うだろうし。

急斜面でなくても雪崩は起きるけど、斜面選びの段階で、そもそも「リスクに格段の違いがある」ともっと認識すべきではないかな。今回の事故を受けて、その手の指摘が少ないのはとても不思議だ。上ホロの事故を客観的にとらえるのなら、こういう指摘が一番最初に出てきてもおかしくはないはず。今回の弱層は、緩斜面でも壊れるような不安定なものならばどうしようもないけど、崖のような場所でなければ回避できる類のものなのか?そのあたりはどうなのだろうか?雪崩発生に関するそういう基本的な情報が社会や他のバックカントリースキーヤーにちゃんと伝わっていない気がする。わかっていないならばわかっていないという実態を伝えるべきだと思う。現場を知ってる人や気がついた人は伝える行動をとりたいよね。

それから、急斜面滑走が好きな人が、自分で危険性を認識して覚悟して行くこと自体については、それで別にいいんじゃないかな。だけど、その場合でも、家族や友人の気持ち、その行動が社会にどういう影響を与えるか、そこに考えが及ばないならば、責任ある行動とは言えないと思う。

弱層テストが今は最良な方法だから、それでベストをつくせば済むというH本の論理も成り立つけれど、それは個人という範囲に留まっている場合の話であって、社会的には当てはまらないのでは?自分たちが自分たちで楽しめればそれでいいという考えでは、社会のピラミッドの底辺を大きくすることはできないと思うし、知識のない人に雪との安全なつきあい方を伝え・雪遊びの楽しさを広げる活動にもつながらない。また最近は、山や雪の知識がない一般スキーヤーの危険嗜好がいっそう加速しているという問題があって、これを自己責任論だけで解決できるとは到底思われない。雑誌に載っていた斜面が行ってみたら実は滑走禁止だった、などという話がそのことを物語っていると思う。

最近の冬山遭難事故の例を見てもわかるように、事故の多くは沢や急斜面、吹雪の日に起きている。にもかかわらず、沢・急斜面に入ってはいけない、とか、吹雪の日は山に入らないほうがいい、という昔は口すっぱく言われていたであろう"あたりまえのこと"が最近は世間で言われる機会がめっきり少なくなってしまったように思う(余計なおせっかいが減った?)。道具の進化によって、安全性が格段に向上したという錯覚が生まれ、自分の身は自分で守ればそれでいい、という盲目的な論理だけが広まっていないだろうか。昔の人は、例えば、今日は山の様子がおかしいから行かない方がいいとか、海の様子がおかしいから漁に出ない方がいいと、言い伝え、災害を軽減する文化をつくり共有してきた。科学の発達した今ならもっと役に立つ正確な情報提供・共有ができるはずだけど、情報を見るか見ないかすら個人の責任とされ、社会からよい側面としての共同体の精神が失われているのは残念に思う。

>急斜面じゃなくたって雪崩は起きるんだし、完全に雪崩事故をなくしたいなら、滑走可能な斜度の上限を決めて、それ以上は立ち入り禁止にしてしまえばいい。でも、そんなの面白くないよね?

規制を設けるのは安易な方法だね。その結果、むしろ危険性が増えるのではないだろうか。ここは開放されているから大丈夫だろう…などと。そんなことで雪崩事故が防げるならもうとっくの昔にやってるよね。雪とのつき合いは、一かゼロか(どちらかに結論を出せ)ということで解決できないからなるべく広い視野でものごとを考えて、自分の属するグループ以外にも互いに声をかけ合い、自分達の安全性を底上げする意識が肝心なんだと思うよ。

投稿: O | 2008年2月 4日 (月) 18時53分

この際だからオレもこのまま書くわ。

これまでの議論を振り返ってみたけど、Oが具体的にどうしたいのかよく分からん。Oの言っていた「国内だけでは限られているが、世界中の雪崩事故の事例(成功と失敗)を集め、啓蒙する専門家の取組の重要性、それをサポートしていく社会の責任」を誰かが果たすべきだと言いたいの?そこまで重要性を理解しているなら、いっそのことOがやってもいいとさえ思うんだけど。

自主的な取り組みで言えば、例えば、カミフルールのように入山届けの記入を訴えたりハザードマップ作ってるよね。そういうこと?

オレは今のところ、ロープを使わなきゃ行けないような場所へは行くつもりないな。誘われても行かない。知識も技術もないし、そもそも怖い。

報告書の写真を見れば、雪崩れた急斜面がほとんど崖だって分かると思うけど。あれはエクストリームスキーでしょ。確かに、具体的な情報があった方がいいけど、ないことがそれほど問題だとは思わない。その気になれば、地形図からもおおよその斜度分かりそうだし。

「急斜面」という要素以外、他のあらゆる条件から積雪の安定性が示されているとき、「急斜面」をどう扱うかなんだけど、Oは絶対に滑らないということでいいんだね?きっと、それが一番安全な選択だとは思うよ。

あの分厚いハードスラブは、急斜面だから雪崩れたんだと思うけど、Oはどう思う?あんなのは緩斜面じゃ雪崩れないよね?普通に考えたら。指摘が少ないのは、当たり前だから?基本的に、急斜面が危険だというのは、雪崩れやすいからってことでしょ。

前に別のエントリーで書いたけど、家族や友人のことを考えたら、冬山になんて入るべきじゃないんだって。お姉さんだって飽きれてたっしょ。

オレは別に、弱層テストでベストを尽くせば済むとは思ってないよ。可能な限り安全を確保して気持ちよく滑るには、弱層テストは必要最低限だと思う。一般スキーヤーが安易に冬山に入るのは、Oが言うように、金儲けしか頭にない観光業界やメディアが原因だと思う。スキー場のCMに必ず出てくるパウダー滑走シーンは、スキー場ではまず無理。これも前に別のエントリーで書いた気がするな。JAROか?

オレは山スキー最初のシーズン、山スキー3日目に、Oに猛吹雪のチセヌプリに連れて行かれ、登り返したニトヌプリから寒さに凍えながら下山していると、小さな沢地形で危うく雪崩を誘発しかけた。知識があまりないから危険性もよく認識してなかったけど、おかげでいい勉強になったよ。やっぱり「当たり前だ」と思った。Oは無意根スキーツアーの翌年には山スキー始めたけど、オレは「やっぱり冬山は怖い」と思ったから、5年以上も経ってようやく始めたくらいだ。道具の進化のおかげで始めたけど、Oより先にビーコンとゾンデを買ったよね。S木くんも今シーズンビーコン買ったし、冬山は楽しいけど、とても危険なんだという雰囲気作りが大事なんじゃない?

情報の共有については、JANの雪の掲示板は情報量が少なすぎて使い物にならないけど、例えば、弱層テストの結果をみんなで共有するサイトを作るのもいいんじゃない?情報量が多ければ、2ちゃんねる程度には役立つと思うけど。そもそも、下手くそな自分の弱層テストの結果を大雑把にでも公開しているのは、情報共有の考えもあってだし。結局、Oはどんなことをしたいと思ってるの?具体的にどうしようと思ってるのかが分からない。

規制は安易だけど一定の効果はあると思う。アメリカナイズされた日本でも、銃規制のおかげでアメリカほど乱射事件はない。ディアミールやスノーシューとかの販売と所持を禁止すれば、間違いなく事故は減る。でも、そんな国には住みたくない。一人一人が主体的にリスクマネジメントを行わないと、結局、責任を押し付け合うことになりそうだ。

投稿: H本 | 2008年2月 4日 (月) 21時33分

誤解が一つあるような気がするので、まず、それを解いておくね。
・具体的にこうすれということ(答え)を示している
わけではないよ。確かに自分の問題意識は書いたけど、それは議論のたたき台になればいいと思ったまで。答えはそれぞれが自分で見つけるしかない。上ホロの雪崩事故から個人的に思った教訓を2つほど挙げて、問題提起したんだけど、それが意見の押し付けだと受け取られているなら大きな誤解だ。2つの教訓を踏まえて近年の雪崩災害の問題を考えたら、視野を広げることも大事だねーっていう指摘をしたわけ。Oが何をしたいのかと聞かれれば、このブログで指摘をして実のある議論をしたかった、というのが答え。その指摘は、H本にとっては当たり前すぎることだったかもしれないけど、他の人にとっても当たり前とは限らないよね。異なるものの見方(結論を出すことが目的ではないものの見方)を聞くことで、新たな気づきが生まれたりする人がいるかもしれない。

>Oの言っていた「国内だけでは限られているが、世界中の雪崩事故の事例(成功と失敗)を集め、啓蒙する専門家の取組の重要性、それをサポートしていく社会の責任」を誰かが果たすべきだと言いたいの?

なんだか"責任問題"を追求してるみたいに聞こえたのかもしれないけど、人々の意識の持ちようが社会を変えるのであれば、そういう自覚を持とうと努めるのはいいことだと思う。

>結局、Oはどんなことをしたいと思ってるの?具体的にどうしようと思ってるのかが分からない。

とるべき行動についてはH本と基本的に一緒だよ。自分のやれることをやる。これに大賛成。これまでのコメントでもこのことを否定した覚えはないが…。やり方は人によって様々。ただ、そのときに個々の問題だけじゃなくて、視野を広げて全体をみることの重要性を言おうとした。意識を高めれば行動の結果はどんどん良くなるはずだから。誤解しないでほしいのは、専門でもない人に雪崩研究の最前線のデータを見ろとか、そういう無理難題を言っているのではないってこと。自分のコミュニティー以外にも視野を広げて、意識を高め合うことの有効性を語っただけ。人って目の前にあるものだけがすべてと思い込んでしまうとこがあるでしょ。こういう当たり前の指摘はマイナス効果かい?言ってること伝わってる?

例えば、「雪崩については科学的にまだ歴史が浅く研究途上だから、弱層テストのみによる判断・過信は危ない」、ということで二人の意見は一致してると思う。ただ、「過信するな」「弱層テストは完璧じゃない」っていう指摘をただするよりも、一歩下がって、雪の科学はそもそもどこまでわかってるのかな、世界ではどんなことが起きてるのかな、どんな安全対策がとられているのかな、って視野を大きく広げてみたほうが、説得力あると思う。

H本が、ブログで雪崩の情報流したり、自分の意見を書き込んだりしてるのは、情報発信としては、まさにお手本みたいなもんで、とてもいいことだと思ってるよ。

>「急斜面」という要素以外、他のあらゆる条件から積雪の安定性が示されているとき、「急斜面」をどう扱うかなんだけど、Oは絶対に滑らないということでいいんだね?

俺の個人的な判断を知りたいなら、もっと具体的な状況を教えてくれないと無理だよ。極論主義者じゃないので、勝手に人を決め付けないでね。

>規制は安易だけど一定の効果はあると思う。アメリカナイズされた日本でも、銃規制のおかげでアメリカほど乱射事件はない。ディアミールやスノーシューとかの販売と所持を禁止すれば、間違いなく事故は減る。でも、そんな国には住みたくない。一人一人が主体的にリスクマネジメントを行わないと、結局、責任を押し付け合うことになりそうだ。

この問題は、かなり二人の問題意識の核心に近いと思った。上の話だと、結局、原因のすべてが個人に押し付けられることになりそうで、逆に危機感を感じる面もあると思った。強い人はいいよ。スキーに熱中して時間とお金をつぎ込んで、学もあって、あらゆる手をつくして安全管理をしたり、高いお金で安全な土地を買って、耐震強度の強い家に住める人はね。一方、自然災害で命を失ってしまうのは圧倒的に弱い立場の人だ。今や山でスキーをして遊ぶのは限られた人々だけではなくなった。情報疎外者や教育を受けていない人々も簡単に雪山に入っている実態がある。そういう人達が雪山で遭難するのは彼らが自分で安全対策を怠ったせいで、彼らの無知無能のせいだと100%言い切れるだろうか。多くの人を雪山へ向かわせる社会背景には、商業主義(お金で安全やスリルを買う)や自己責任(自分の責任で何をやってもいい)への偏重という強者にだけ通用する言い分も潜んでいるように思われる。何でも自己責任にしてしまうことは、人と人との間の難しい問題をいちいち考えなくて良くなるのでとても安易な方法(管理しやすい方法)だけど、人間の問題の解決にはなっていない。自分の身の回りの問題と同様に、社会全体のリスクマネジメントについても一人一人が考えていかなければ片手落ちだと思う。H本のコメントは、自分のことをちゃんとすればそれで自動的に社会の安全性も上がるというふうに読めるけど、それには同意しかねる。なぜなら、自分のことをちゃんとするっていう部分にすでに大きな社会格差の問題が潜んでいるからだ。

投稿: O | 2008年2月 5日 (火) 17時59分

今日もがんばって書いたよ。

ブログへのコメントが、オレ個人や事故の当事者だけじゃなくて、不特定多数も対象にしていることには気付かなかったので、誤解というか話がかみ合ってなかったんだと思う。それに加えて、Oの議論って、一見具体的に思えるけど、結論の部分でぼやけてしまって具体性がなくなるから分かりづらい。今度のコメントの最後は特に話を広げ過ぎだと思う。まあ、せっかくだから、議論は続けるけどね。それにしても、ブログのこの議論をきっとアバランチャーも読んでそうなので、なんか今度会うのドキドキするよ。

「自分のコミュニティー以外にも視野を広げて、意識を高め合うことの有効性」は十分分かるんだけど、何かいい方法ないだろうかね?旭岳で雪崩を誘発したときは、ブログを見たらしい三段山クラブの大西さんから連絡があって、雪崩講習で事例として使いたいという申し出だったので快諾した。事例として活用してもらうことで、今後の雪崩事故を減らす手助けが出来るならと思ったから。

日本以外の国における雪崩事故への安全対策についてはよく知らないな。何か知ってる?簡単に取り入れられる対策ってどんなことがあるかな?

コメントの最後については、「二人の問題意識の核心」というより「二人の問題意識の違い」なんじゃなくて?最後の最後は社会格差の問題になってしまったけれど、この段階で少しOの主張がはっきりして来たと思った。要は、雪崩事故防止への行政の対策を求めているわけだね?

最近特に、レジャー産業などが過大広告で冬山初心者を煽って危険な場所へ導いているように思う。スキー場が行ってる有りもしないノートラックのパウダーの宣伝はしっかりと規制すべきだ。海外のタバコのように、「冬山に入ったら死ぬぞ」っとはっきり言っとけ。

Oが上で例にあげた交通事故では、危険な運転による事故を減らすためには、相応の予算を割く。同じように、雪崩事故防止のために、予算を使うことも必要だと思う。冬山は北海道の観光の目玉の一つであることは間違いないのだから、雪崩講習への助成や、安全対策装備の購入補助だっていいだろう。道内企業や大学と連携して、道産のビーコンを開発したっていい。安くて性能のいいものを作れば、数が売れてさらに単価も下がる。

ここまで来ると、政治の問題にも関わると思う。「自分のことをちゃんとする」ってのは、広くいえば、冬山を楽しめる社会作りだろうから。まずは、土建屋や中央官庁の顔色をうかがってばかりで市民の意見を聞かないような議会をなんとかしなきゃいけない。

でもね、冬山は今のところ娯楽だってことが前提だから、住宅のような生活インフラと同じ議論をするのは乱暴だと思うよ。家がなければ生きてけないが、スキーを滑らなくても死なない。「健康で文化的な最低限度の生活」に、果たしてスキーが含まれるだろうか?問題だらけの今の日本で、優先順位は低いんじゃないかな。

投稿: H本 | 2008年2月 6日 (水) 23時48分

>ブログへのコメントが、オレ個人や事故の当事者だけじゃなくて、不特定多数も対象にしていることには気付かなかったので、誤解というか話がかみ合ってなかったんだと思う。それに加えて、Oの議論って、一見具体的に思えるけど、結論の部分でぼやけてしまって具体性がなくなるから分かりづらい。

わるいわるい。文章力ないし、自分でも具体的な対策(漠然とした問題意識はあるが、何をしたらよいか)がはっきりとは見えてないせいだ。

H本も三段クラブさんもどちらもパウダージャンキー(だよね?)という似た部類に含まれると思うので、互いに仲間意識みたいのもあって、情報共有なども進みやすい。一方で、俺達の知ってるこういう雪の知識や楽しさをもっと異なるコミュニティーの人(パウダージャンキーじゃないけど雪と接する機会のある人とか、雪山に入ること自体を悪いことだと思っている人など)にも伝えられたらさらに理想的だよね。世の中の人の多くが雪に対して、危険性はもちろん楽しさとか恵みも知らせることができたら、将来、無知のために起こる悲劇を防げたり、両者の雪害に対する考え方の大きな隔たりを埋めることができるかもしれない。具体的に何をすればよいかわからないけど、行動は意識からっていうから、そういう自分と知識も価値観も異なるコミュニティーとのつながりも意識したい。

>日本以外の国における雪崩事故への安全対策についてはよく知らないな。何か知ってる?簡単に取り入れられる対策ってどんなことがあるかな?

俺もよく知らないので調べて考えてみるよ。

>最後の最後は社会格差の問題になってしまったけれど、この段階で少しOの主張がはっきりして来たと思った。要は、雪崩事故防止への行政の対策を求めているわけだね?

最終的にはそういう政治の形になるかもしれないけど、行政を動かすのは市民だから、まずは、市民の意識の持ち様に関して、俺達が何かできないかってことだよ。

>最近特に、レジャー産業などが過大広告で冬山初心者を煽って危険な場所へ導いているように思う。スキー場が行ってる有りもしないノートラックのパウダーの宣伝はしっかりと規制すべきだ。海外のタバコのように、「冬山に入ったら死ぬぞ」っとはっきり言っとけ。

どういうとき危ないか、具体的に伝えないと反感を買いそうな気もするけど、状況からわかることも多いので、危ないことは危ないと言うことは大事だ。

>ここまで来ると、政治の問題にも関わると思う。「自分のことをちゃんとする」ってのは、広くいえば、冬山を楽しめる社会作りだろうから。まずは、土建屋や中央官庁の顔色をうかがってばかりで市民の意見を聞かないような議会をなんとかしなきゃいけない。

政治をなんとかするのはもっともだ。

>でもね、冬山は今のところ娯楽だってことが前提だから、住宅のような生活インフラと同じ議論をするのは乱暴だと思うよ。家がなければ生きてけないが、スキーを滑らなくても死なない。「健康で文化的な最低限度の生活」に、果たしてスキーが含まれるだろうか?問題だらけの今の日本で、優先順位は低いんじゃないかな。

なるほど。たしかに日本には悲しい現実があるよね。でも、優先順位は国民が状況を知った上で、何番にするか判断することだから、まず雪山の正しい実態やそこから学べることを多くの人に伝えてみたい。

ここで重要なことは、スキーを語ってスキーを身近にしてスキーの安全性を向上させることが唯一の目標ではないということ。スキーという一見特別な遊びの中から、安心・安全な社会づくりや自然と人との共生について、環境の世紀ともいわれるこれからの時代への大切な教訓が見えてくるのではないだろうか。

もっとも自然と接点を持っているスキーヤーの知見には、自然との接点(自然の怖さや恵み)を忘れかけて、開発にばかりまい進してしまう人間社会に警告を発する大切な役割があるはずだ。


スキーは単なる娯楽なのか?
一般的な認識は確かにそうかもしれない。でも、道路や送電線工事などの仕事で雪山に入る人もいるし、一部ではスキー授業は教育の一環にもなっている。国民の健康維持やストレス社会におけるストレスの発散、文化交流・国際交流などにも今や大きく寄与していると思う。スキーが単なる娯楽という意味合いしか持っていないとしたら、学校の授業なんかでやらない方がいいよね(この間も事故があったし)。そうじゃないって知ってる人が、そのことを伝えることで、自然に目を向ける機会が増えて、政治の中にも反映されていってほしいと思う。

投稿: O | 2008年2月 7日 (木) 16時43分

パウダージャンキーとそれ以外の人との雪害に対する考え方の大きな隔たりは埋めた方がいいんだろうか?雪山を観光として活用するために、事故防止に協力してくれるのはありがたいけど、雪山に入る人がどんどん増えるのはちょっと遠慮したい。割り切った付き合い方でもいいように思えてしまう。そういう意味で、簡単には入れない雪山の厳しさは重要だと思う。今問題なのは、厳しさを伝えられずに安易に雪山に入って事故に遭うことだよね。それは観光にとっても良くないことだと理解してほしいけど。パウダージャンキーを雪山から閉め出すんじゃなくて、雪山を通じてみんなが仲良くやって行ければいいと思う。とはいっても、パウダージャンキーってどっちかっていうとビンボーでケチな気がするのは気のせいかな?

相変わらずOは話を膨らませるのが好きだね。「環境の世紀」か。Oみたいにスキーヤーとしての役割は自覚してなかったな。とりあえず、オレは夏山よりも冬山に登る方が気持ちいいよ。環境を破壊している罪悪感があまりないから。夏山は中高年の登山ブームで登山道からどんどん環境が悪化してるように感じた。自然との共生とはほど遠い人間のエゴだな。

娯楽が悪いと言っているわけじゃないし、むしろ、人間には娯楽が必要だと思うけど、娯楽の優先順位は低いんじゃないの?人にもよるだろうけど、娯楽の中でもスキーは経済的にも時間的にも負担が大きいから、優先順位低いでしょ?Oだって封印してたくらいだし。Oはスキー一般のことを言っているようだけど、少なくとも、自分のスキーは娯楽だと思ってるよ。もちろん、スキーには娯楽以外の活用法があるとは思うけどさ。オレが何かの使命を果たすために雪山にスキーに行って雪崩事故に遭ったとしたら、娯楽として滑りに行った場合とは、世間の反応は全く違うだろうね。

投稿: H本 | 2008年2月 7日 (木) 20時46分

>パウダージャンキーとそれ以外の人との雪害に対する考え方の大きな隔たりは埋めた方がいいんだろうか?

現場を知らない人と知っている人では考え方に大きな差があるものじゃない?マニアックな知識まで共有する必要はないと思うけど、自然に対する認識の隔たりがあまりにも大きいと、事故や災害のときの事実のとらえ方に大きな差ができて、人と人との会話が成立しなくなる危険性があるのではないか。事故があっても、「勝手に行って勝手に死んだ」と思える人と思わない人…など、両者の意識に隔たりが大きければ大きいほど、難しい問題が出てきそうだ。新聞やニュース、週刊誌での書かれ方も違ってくるしね。

投稿: O | 2008年2月 8日 (金) 19時38分

隔たりが大きすぎると困るけど、「あいつらバカだよなぁ」っと思いながらも、スキーヤーと住民、同じ土地を愛する人間として温かく見守ってほしいとは思う。映画見てないけど、銀色のシーズンみたいな感じかな?でも、共有するものが少ないもの同士だと、どうしたらいいのかよく分からないな。Oは隔たりがなくなった状態って、どんなイメージを持っているの?いまいち想像できなくて。

投稿: H本 | 2008年2月 8日 (金) 20時06分

反対に、隔たりの大きい悪い状態はけっこう想像できるので、それよりはマシになるのではないかと…。例えば、「繰り返し、地震が来る、噴火する、津波が来る、台風が来る、雪崩が起こる、のをわかっているのになんでわざわざそんな危ないとわかっている地域に住む(行く)のか?自己責任で住んでいる(行く)のだから、救援や災害復興などその土地に住んでいる人以外の税金(公的資金)を使うのは間違っている」などという意見をさも正しいことであるかのように言う人も実際にいる。そういう人たちは、我々の暮らし、観光、学習、文化が様々な自然との深い関わりの中で成り立っていること、この社会全体が自然の恩恵を見えないところで多大に受けていること、を理解していないのだろう。スキー事故も、世間でそのように一方的に受け取られてしまったら、とても悲しい。

銀色のシーズンは観てないからわからない。

投稿: O | 2008年2月 9日 (土) 12時25分

またまた話がデカくなったな。
他のことはともかく、雪山に入ることが「暮らし、観光、学習、文化」としてちゃんと理解してもらえるように、具体的で積極的な努力をしないと、いつまで経っても、雪崩を誘発して事故に遭ったら自己責任で終わってしまうんじゃない?「『我々の暮らし、観光、学習、文化が様々な自然との深い関わりの中で成り立ってい』て、『この社会全体が自然の恩恵を見えないところで多大に受けている』」なんて言われて、雪崩事故防止のために税金を出すことに納得する一般市民がいるとは思えないから。

投稿: H本 | 2008年2月 9日 (土) 16時48分

>またまた話がデカくなったな。

必要なところまで話を広げるのはいいことだろ。

>…snip…雪崩事故防止のために税金を出すことに納得する一般市民がいるとは思えないから。

いくら具体的で積極的な行動があっても、自分だけでなく相手の身になって行動を起こしていかない限り、理解はなかなか得られにくいね。スキーヤーの視点はどっちかっていうと、自分と自分と同じような境遇にある者(パウダージャンキー)の方を向いているだけで、それ以外へは向いていない。視点を外へ広げる必要性はここにあるのでは?

投稿: O | 2008年2月10日 (日) 14時55分

なまら長くなって2人の文通状態だけど、ちゃんと書くよ。

Oは話を広げすぎて議論と議論の間が飛んでしまうから、元のところに戻って来れなくなる気がする。少なくとも大変。オレだけ?具体的な対策が思い浮かばないのは、このことが原因なんだと思うけど。

議論の飛びについて、まず、自然災害の危険性が高い地域に住むことと、雪山に入って滑ることとがどうして同じことだと思うのかをちゃんと説明してほしい。雪山に入って滑ることと雪崩事故の危険性が高い地域に住むことが同じだと思うなら、その理由も説明してほしい。これらがはっきりしていないと、次の議論に進めない。「我々の暮らし、観光、学習、文化が様々な自然との深い関わりの中で成り立っていること、この社会全体が自然の恩恵を見えないところで多大に受けていること」が理由だと言うなら、こういう大雑把な説明ではなくて、もっと丁寧に説明してほしい。スキー事故と我々の暮らし云々との関わりについての説明が抜け落ちているように感じる。そうした説明がないと、「スキー事故も、世間でそのように一方的に受け取られてしまったら、とても悲しい。」という表現は、一見すると、Oの言う「理解」がない世間一般の人たちを非難しているように受け取られてしまう。結論だけで議論しないで、ちゃんとひとつひとつ理由を示してくれないと、自分であれこれ想像して穴埋めしなくちゃいけないので、疲れるだけじゃなく話まで噛み合なくなってしまう。

次に視点について、Oは視野は広がっているかもしれないけれど、他の視点に立ってみても、その視点に立ち切れずに、その視点からだとどうしてその考え方になるのかをちゃんと考えていないように思う。実際、「自分だけでなく相手の身になって行動を起こし」と言う割には、「とても悲しい。」と言って終わってしまう。そこでもっと踏み込んで考えれば、もう少し具体的な議論が出来るんじゃない?

本当に「スキーヤーの視点はどっちかっていうと、自分と自分と同じような境遇にある者(パウダージャンキー)の方を向いているだけで、それ以外へは向いていない」?スキーヤーに対する世間の目を理解しているからこそ、まず、自己責任という立場から雪崩事故防止に取り組んでいると思うのは、楽観的すぎる?

改めて整理すると、この議論の目的は雪崩事故を防止したいということでいいね?話を広げるのは、他の災害との共通点を知ることで、雪崩事故の場合に他の災害への対策を活かしたり、根本的な問題を探って、より包括的な対策を考えたりするためなんだと思うけど、それでいいのかい?それでいいとして、雪崩事故へ活かすという議論から離れて、根本的な問題の方へ行ってしまってなかなか戻って来ないのは、研究者ならまだいいかもしれないけれど、スキーヤーが現場ですぐに具体的な行動で雪崩事故を防止したい時には望ましくないと思う。Oは研究としての議論をしたいの?まあ、ブログのコメントじゃ簡単にはできないと思うけど、もし、ちゃんとした議論をするなら、改めてテーマを絞って一つ一つ順に議論して行かない?

投稿: H本 | 2008年2月10日 (日) 19時30分

話があまりにもかみ合ってないので、話の発端、このブログに書き込んだ理由からもう一度説明させてもらうよ。それによって、話を広げている訳を察してもらえると幸い。

>Oは話を広げすぎて議論と議論の間が飛んでしまうから、元のところに戻って来れなくなる気がする。少なくとも大変。オレだけ?具体的な対策が思い浮かばないのは、このことが原因なんだと思うけど。

ブログにコメントしたのは、俺たちパウダージャンキーが普段持っているのとは違う視点から、雪崩事故や雪との付き合い方を見ることも、広い意味で、あるいは、長い目でこの問題をみたときに重要だろうと思ったからだ。視点を広げ、様々な立場、価値観、意識の違い、をまず考えることによって、事故や問題を複雑にする状況がより具体的にわかり、雪崩事故抑制や社会の安全確保の方法は一つではない、別の角度からの取組も可能だということを知ることができる。

H本の関心は、今おかれている自分の限られた立場、状況下で自分がすぐできる具体的対策を探すことに注がれているように思える。それ自体とてもいい心掛けだけど、今の自分の状況を説明し、行動をそれに当てはめるだけでは、他の状況や立場になったときの視点は見えてこない。具体的行動に今すぐ結びつかないからといって視野を広げようとしないのは、変動する時代に、自分の可能性(社会において果たせる役割など)を前もって限定してしまっていることになり、もったいない考え方だ。

何の権力や立場の相違などからも完全にフリー(自己責任)でありたいと思うH本の気持ちはよくわかるが、社会はそんなきれいごとでは成り立っていない。こっちが常識だと思っていることが相手に通じないことも意外と多いものだ(もちろんその逆もある)。急斜面の危険性の認識や弱層テストや道具の信用、ローカルルールの理解・普及もその一つだろう。それに、通じないから自分のことは自分でやるっていう考え方すらも通じないこともある。自分の中だけで割り切らずに、社会と広く関わっていく気持ちは持ち続けるべきだと思う。一人一人の地味な意識がけが社会を動かしやすくし、長い目でみて社会を安全な方向へ導くという構図もあるのではないか。具体的にこれからどうやるかは個人個人の生き方に問われている問題で、人があれこれ言うことではないだろう。

H本は、具体的対策が思い浮かばないのは話を広げすぎたせいだ、という趣旨のことをコメントしてくれたけど、この具体的対策というのは、その人がまず意識を積極的に外へ向けることで初めて問題意識が芽生え、見えてくるものだと思うので、思考が逆だと思う。具体的対策が今すぐ思い浮かぶかどうかで、外への意識を棄却してしまうのは、見えずらい問題に対して個人の思考停止を招く危険がありそうだ。

パウダージャンキーの中には、自分で積極的に雪崩の勉強をして山にも頻繁に行って、ブログで情報発信している人も多い。傍から見てると、社会に対していい意味で影響力を持てる存在だと期待してしまう(あくまでブログは個人の趣味だから、そんな期待はよしてくれ、というのなら、それまでだけど…)。情報が伝わるかどうかはコミュニケーションの問題だから、一方的な情報発信でなく、それが社会にどう受け取られるかをもっと意識してもいいのではないか。長い目でみて、自分たちの果たせる役割や行動の可能性について、ここをこうしたらいいとか、もっとざっくばらんに意見を出し合ってもいいのではないか。それをしないと、自分の求めるものも伝わらず、相手の求めているものも理解できない関係に陥る。山に行く者残る者問わず、情報を知らなかったとか、前提を理解していなかったがための悲劇や人々の認識のずれによる災害発生時の無用の混乱を避ける意味でも、視野を広く関わっていく意識は重要だと思う。

>スキー事故と我々の暮らし云々との関わりについての説明が抜け落ちているように感じる。

スキーの事故も交通事故と共通する部分がある。怪我をすれば当事者は暮らしに大きな影響が出る。メンバーや団体間に緊張が起こるし、教訓も生まれる。社会にはメディアの報道などによってインパクトを与え得る。世間では、他人の言動や評価も耳にする。それを受けて自分の意識にも変化が起こったり、確信や責任意識も生まれる。その結果が生活や行動に反映されていく…など。スキー事故も生活や社会そのものと密接に関係してるんじゃない?逆に、スキー事故は特殊事情であり、世間とはあまり関係ないって思っていると、視点が狭いから、世間の多様な反応も何も理解できなくて、なおさら、世間とは関係ないと思い込んでしまう危険性もありそうだ。例えば、遭難騒ぎを起こして自力下山した人が、待ち構えていたメディアの前で「俺たち、自己責任で山に行ってるので気にしないでください。勝手に探されるのは迷惑です。」って言ったとする。これが世間でどう受け取られるだろうか。通用する?結局、自分達だけの話じゃ済まされないのが現実に起こってる問題だろう。

>本当に「スキーヤーの視点はどっちかっていうと、自分と自分と同じような境遇にある者(パウダージャンキー)の方を向いているだけで、それ以外へは向いていない」?

スキー活動の目的を限定している場合には、外への視点、外の世界への理解が不足していることが多いと思う。

>スキーヤーに対する世間の目を理解しているからこそ、まず、自己責任という立場から雪崩事故防止に取り組んでいると思うのは、楽観的すぎる?

一人一人自己責任を果たせば社会は自動的に正しい方向へ向かうかというと、そうではないので、楽観と言えば楽観だと思う。そのことを別に責めるつもりはないけど、自分の社会に果たせる可能性を限定してしまっているように見えるので、なんだか、もったいない気がする。

>改めて整理すると、この議論の目的は雪崩事故を防止したいということでいいね?

この議論の目的は雪崩事故だけに限定してるつもりはなくって、上ホロの雪崩事故を受けて、自分や他者を含む社会の安全確保に関する教訓を得たいという思いがあった。広い意味で雪崩事故を減らす、あるいは、無知による悲劇、災害時に関わる様々な人間のコミュニケーション不足による無用な問題を避ける、という目的も含んでる。他の災害や事故へも教訓を生かすことができればなおさらいいね。

>…snip…、雪崩事故へ活かすという議論から離れて、根本的な問題の方へ行ってしまってなかなか戻って来ないのは、研究者ならまだいいかもしれないけれど、スキーヤーが現場ですぐに具体的な行動で雪崩事故を防止したい時には望ましくないと思う。

最初の方で書いたけど、自分の立場や目的を最初から限定してしまって、(例えば)研究者でもないし教育者でもない自分には現場のこれこれしかできないって結論出すのは早計だと思う。そりゃあ、明瞭に目的を持ってすぐ具体的行動に移せそうな研究者や教育者なら、まさに理にかなった行動に見えて格好がよさそうだ。でも、それ以外の者が、そういう広い視点でものを考えるのが「望ましくない」と考えるのはおかしい。なぜなら、広く意識をはたらかせうことで、個人の中に今までと違った問題意識が芽生えてくる可能性があるからだ。あまり自分の立場を固定して考えないで、もっと気楽に、これをこうした方がいいって互いに意見を出し合える関係を社会全体の中につくりたい。誰よりも雪山に入って現場の厳しさを見てるパウダージャンキーは、やる気になれば、いろいろな人達の間の架け橋的な役割だって演じることができると思う。そうして徐々につくられていく信頼関係が長い目で災害を見たときに効いてきて、いざと言うときに役立つと思う。何も研究者に限った話ではなくて、普通の人が視点を広げる重要性はここにあると思うよ。

投稿: O | 2008年2月15日 (金) 14時11分

これ以上長くなると嫌だから、一つずつ訊くよ。

Oは「雪崩事故抑制や社会の安全確保の方法は一つではない、別の角度からの取組も可能だということを知ることができる」と書いたけど、どんな取り組みが可能だと分かったの?

投稿: H本 | 2008年2月18日 (月) 20時20分

ブログに書き込んだ発端、話を広げた訳は察してもらえたんだろうか?どこまでわかってもらえたか返事がないのでわからないけど、とりあえず、出された質問に答えてみる。

どんな取り組みがあるか:
・山に熱中していただけの登山家が、その経験を人前で(聞く人の視点に立って)語る活動もする
・自分で語らなくても、語る人間(他の登山仲間や研究者など)のサポート(現場の情報提供、議論の相手)をする
・様々な活動(家族、地域、職場関係、イベント、スキー場のアルバイト、NPO、ボランティア活動…)を介して、雪遊びを知らない人たちに、雪の危険性と、危険なだけではなく恵みも多くあることや楽しさを伝える

こういうことは、どんな生き方をするかにかかっているから、取り組みについていい悪いをいうつもりはないけど、現場を経験している人だからこそ、こういうことをやれる可能性があると思う。

投稿: O | 2008年2月19日 (火) 11時42分

さて、1週間時間を置いたので、お互い頭のリセットができた頃だろう。オレの質問に答えて、どうしてオレが「Oは話を広げすぎている」と言うのか「察してもらえた」かな?広い視野からの抽象的な議論は、一見正しくて分かったような気になるけど、よく具体的な議論に進んだ途端に訳が分からなくなるもの。こうやって議論を具体的な問題に落として考えることで、議論してる本人も周りの人たちも理解しやすくなるはず。必要に応じて視野を広げるのはいいことだけど、広げるなら広げた分必要な説得力のある説明をすべきだよね。多くの場合、自分の考えが正しいと思い込んでいるので、説明不足に気付かない。

では、せっかく質問に答えてもらったので、この答えを見ながら次の議論に進みたい。そこで、早速Oが答えてくれた取り組みについて見ると、ここには3つの例が挙げてあるけれど、どの例も基本的にはパウダージャンキー(ここでは雪山に入る人全般としてこの言葉を使うよ)が、それ以外の一般の人とコミュニケーションをとって、「社会との関わり」とかも含めて雪山についての理解を深めてもらおうということだよね?こういう取り組み方は一般的で、他の問題でもよく行われるね。けれども、市民運動なんかでも直面する課題は、そもそも聞く気のない人にどうやって話を聞かせるか。まさに、「聞く人の視点に立って」なければ、この課題をクリア出来ないよね?

じゃあ、無関心な人の視点からパウダージャンキーを見たとき、スキー事故をどう考えると思う?きっと「勝手に行って勝手に死んだ」と思うだろうね。でも、そう考えることが間違っているという根拠って何?Oは「スキーの事故も交通事故と共通する部分がある」とか、「スキー事故も生活や社会そのものと密接に関係している」とかと言うけれど、むしろ、そんな言い分の方が「通用」しないんじゃない?「社会はそんなきれいごとでは成り立っていない」んだから。「自分達だけの話じゃ済まされない」んだから、「雪山になんて行くな!」と言われてお終いだ。違う視点に立つというのは、こういうことじゃないの?視野の広さの問題じゃなく、常に正しい考えを持っている(と思い込んでいる)自分が視点になっているから、「世間の多様な反応も何も理解出来なく」なるんだよ。

Oはスキー事故と交通事故とに共通する部分に視野が限定されていて、相違点が目に入っていないんじゃない?ここではまず、「スキー事故の特殊事情」を理解すべきだ。つまり、スキー事故と交通事故を例にするなら、2種類の事故の違いが、交通事故には関心があってもスキー事故には無関心になる大きな原因じゃないの?もちろん、交通事故にだって無関心な人はいっぱいいると思うけどね。原因は他にも事故数の大きな違いもあるし、比較対象としては適切ではないと思うけど、ここまでの議論はいいかな?ちなみに、断っておくけれど、スキー場管理区域内の事故と雪山での事故は区別するよ。この区別は、公道での交通事故と、サーキットとかでやる草レースとを区別するのと同じ理由ね。といっても、草レースはよく知らないけど。

投稿: H本 | 2008年2月26日 (火) 20時21分

ここでの議論では、雪山に入る人と入らない人とを明確に区別することはしないつもり。車を運転しない人は交通事故に遭わないわけでもないし。雪と関わる人、関わらない人、を明確に区別して、雪山の特殊事情にのみ着目した話をしようとは考えていない。そこのところ、話の前提がずれてしまったみたいだ。特殊事情にのみ着目する場合は、H本の意見にほぼ同意だよ。話がお互いどんどん感情的になってきたので、ブログ上でのこれ以上の回答はやめとくわ。肝心の雪崩などの事故を減らしたいっていう部分は一致しているしね。

投稿: O | 2008年3月 1日 (土) 23時18分

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