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二つの世界を生きた画家

今年になって、新聞やテレビでずいぶんとゴーギャンの絵を目にする。東京で開催されているゴーギャン展2009で、大作が日本で初公開されているらしい。西洋文明と資本主義が繁栄する世界で株の仲買人として成功したゴーギャンは、恐慌とともに職を失い35歳で画家となり、フランスの田舎へ、そしてタヒチへと「野生」を求めて渡ったそうだ。リーマン・ショックを機に訪れた世界同時不況の下にある今年の日本で、ゴーギャン展が開催されていることに宿命的なものを感じつつ、2年ぶりくらいでNHKの日曜美術館ゴーギャン 二つの世界を生きた画家を観た。

最高傑作とたたえられる大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)」のそれぞれの部分が、過去の作品との類似性があるというのは面白い。この大作だけを見ていると気付かないけれど、番組では対比させながら解説するので分かりやすい。また、大地へ手をつくポーズが野生の表現だというのが印象的だ。確かに、大地につくたくましい腕は、大地に根を下ろす樹のようだと思った。

自らを社会の除け者と感じ、社会からの疎外感を持っていたゴーギャンは、西洋の文明社会から逃れたいと思ったそうだ。そんな様子は、現代の若者と重なるようにも思えてしまう。自らを受け入れてくれる居場所のない状態。ゴーギャンは「ごく単純な芸術しか作りたくない」という動機で文明と対極にある野生を求めてタヒチへ渡ったそうだが、芸術のためだけではなかったように思う。それにしても、タヒチの人たちを「野蛮人」呼ばわりするところは、当時の西洋人ならではだと思った。まあ、日本人もアイヌを旧土人なんて言っていたんだから、大差ないけれど。

大作の左に描かれた、両手で頭を抱えてうずくまる老婆は、1988年に描かれた初期の作品「人間の不幸」に似ているそうだ。この絵は、フランス南部のアルルのブドウの収穫風景を描いたもので、逃れられない労働に希望を見出せず途方に暮れる姿を表しているそうだ。19世紀末、近代化による貧富の差が広がる中で、文明社会が生み出す苦悩を描いたらしい。ゴーギャンが描いた100年前の世界から、文明社会が生み出す苦悩が克服されるどころか、ますます重く蔓延っているように感じる。にもかかわらず、文明が成熟したと言われるのは、きっとこの文明自体に問題があるにちがいない。

右の子どもの誕生から始まる大作は、左へ向けて時間が進み、両端で生と死の対比しているそうだ。一方、ゲストの荒俣宏さんは両端がつながっていて、生と死が繰り返されているようなことを言っていた。確かに、絵画だけあって解釈はいろいろあるだろうし、それぞれで見方が面白い。

途中、唐突に理学博士の松井孝典さんが登場し、文明社会の存在を問う作品で、「文明とは何か?」「我々とは何か?」を問いかけているのだと言っていたけど、なぜここで松井さんが登場する必要があったのか理解できなかった。科学者は文明を代表しているということなのだろうか。

自分の中の野生を表現し、人間の内なる野生を描くようになったそうだ。タヒチの女性に楽園の姿を見たということだけど、「現地にはゴーギャンの血を引く人がたくさんいる」というゲストの写真家三好和義さんの話を聞くと、そういう野生の解放もありなのかとたまげた。文明の制約から解放されることは、ゴーギャンの感じてた疎外感を消し去ることができたのだろうか。

パリに戻っても作品は評価されず、タヒチへ戻っても妻は他の男と結婚し病にも冒されたゴーギャンは絶望し、死を決意して大作を書き上げたそうだ。その大作の中央に大きな女性の陰に描かれたのは、禁断の実に手をつけたばかりに知恵をつけ悩まざるをえなくなった文明人らしい。結局、この大作を描くまで居場所を見つけることができなかったのではないだろうか。大作を書き上げた直後に大量のヒ素を飲んで自殺未遂したことから、この大作は遺作とも呼ばれるらしいが、数年後に亡くなるまで描き続けたそうだ。

それにしても、日曜美術館を前に見たのが悲しみのキャンバス 石田徹也の世界(当時は、新日曜美術館)だったのが面白い。石田徹也も現代社会の生み出す抑圧感を描いていた。たまたま自分がそうした絵に惹かれるているのだろうか。

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ともかく、せっかく日本初公開のゴーギャンの大作をこの目で見れないのが残念だ。芸術の秋だっていうのに。

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