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きのう、きょう、あした。

「人生フルーツ」の英子さんのその後が気になって、結局、読むことになった。

主婦と生活社から出版されている津端夫妻によるシリーズの3冊目、最終巻。修一さんが亡くなってから、雑木林の家で一人で暮らす英子さんの生活を綴ったものだ。「人生フルーツ」を観てから、修一さんの仕事と並んで気になっていた事柄に迫る。


いきなりシリーズの3冊目から読むのもなんだけど、敢えて1冊目まで遡らずに最終巻から読み始めてみると、「人生フルーツ」の書籍化のような雰囲気だと感じた。これは映画のファンも満足する内容だ。この前に読んだ古い2冊とは異なり、英子さん本人の文章ではなく、良くも悪くも上手く編集されていた。

英子さんがどうしているのか心配だったけれど、本を読んで安心した。予想通り娘さんをはじめ家族がしっかりと英子さんに協力しているようだ。修一さんが亡くなってしばらくは生活が虚しく感じていたそうだけど、次第に元気を取り戻して、元のように畑仕事にも精を出していた。ただ、修一さんがやっていたことは、娘さんたちが代わりにやってあげているようだけど。

「人生フルーツ」の中でも英子さんは語っていたけれど、次の世代、娘や孫につなぐために英子さんはいい土を作り続ける。家も食器棚も中の食器も引き継ぐ。終わりではないことをはっきりと意識している。おそらく娘や孫もその思いを理解しているのだろう。

意外だったのは、この雑木林の家がある高蔵寺ニュータウンの土地は、修一さんの両親と暮らすために買った土地だったということだ。確かに、以前読んだ「夫婦物語」の方でお母さんと一時一緒に暮らしたことが書かれていたけど、確かお母さんは生活に馴染めなくて東京へ戻ったような気がした。

英子さんが80歳のときに植えた柿は88歳の年に収穫して、干し柿にしようとして干しすぎて失敗したらしい。面白いのは、植えた時に英子さんが88歳になって食べると言ったのに対して、それまで生きていると思っている英子さんを修一さんが「図々しい」と笑ったそうだ。なんとも微笑ましい。

このことはとても新鮮に感じる。80歳で柿を植える。確かに食べれるまで生きていないかもしれないが、柿を干している英子さんの姿を思い浮かべると、人生に遅いということはないのだと感じた。始めたときが始まりだ。時間が残されていないなどと考えて生き急ぐべきではない。英子さんのように落ち着いてのんびりと構えている方が幸せだ。

今作でもつくづく感じることは、英子さんは基本的に古い日本の女性であることはまちがいない。修一さんを支える考え方は、現代の自己主張が強いわがままな女性とは大違いだ。もちろん、英子さんの方がいいとは言わないけれど、現代の夫婦は社会も含めて様々な形でバランスが取れていないように感じる。津端夫妻に憧れる人が多いのは、必ずしもキッチンガーデンのある暮らしの魅力だけでなく、やはり今失われかけているバランスがこの夫妻の間には保たれていたことを羨む気持ちがあるからなのかもしれないと思った。英子さんの謙虚さは自分もできることなら見習いたいと思う。

これが最終巻だと思うと寂しい気もする。でも、取材とかに煩わされずに自分のペースで静かに暮らしたい英子さんの気持ちはよく分かる。「おはなしの続きは、別のところでひっそりと。」とあるので、いつかもう一度英子さん自身の言葉で綴られた文章を読む機会ができたらと期待する。

それにしても、表紙のパンが美味しそう。ホームベーカリー欲しい。

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