新たな冷戦
6/3に、北大祭で開催されていた「戦争を考える写真展」に行って来た。そこで目を引いたのが、中国とロシアが反米勢力をまとめ、国際政治では国連で、経済においても途上国支援を行い、アメリカの単独主義を阻んでいるという事実だ。さらに、軍事面でも連携を深めているという。
もちろん、我らが祖国日本は、アメリカ追従の外交を行っているわけだから、この「新たな冷戦」の最前線に立つことになる。その証拠に、米軍再編に伴い、在日米軍の基地が強化され、自衛隊との連携を強めようとしている。沖縄の負担軽減を騙った米軍基地機能強化。千歳にアメリカ本土からの訓練参加することは否定されていない。そして、嘉手納基地で起きているような事故も、千歳にやってくるということだ。
日本がどちらの側につくかという問題ではない。日本の使命は、日本国憲法の精神に則り世界に平和を訴えることだ。その支障となる「日米同盟」は、なんとしても破棄しなければいけない。平和を訴えるには、まず構えた銃を下ろし、捨て去ることだ。いったいどんな人間が、自分に銃口を向ける相手と仲良くしようと思うだろう。
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コメント
>日本がどちらの側につくかという問題ではない。...snip...いったいどんな人間が、自分に銃口を向ける相手と仲良くしようと思うだろう。
→ほんと、そうだね。
今の日本は、北朝鮮から銃口を向けられてるといって、それに対抗する手段(抑止力とも言われてるが・・・)として武装化(米軍と自衛隊の一体化)を進め、こちらも北朝鮮に向かって銃口を向けている。日本のこの論理が相手(北朝鮮)にも当てはまるとすれば、当然、北朝鮮はこの日本の武装化に対抗するために、もっとたくさんの銃口を日本へ向けてくることは目に見えている。
隣国と仲良くなるためには、まず、この外交の論理の間違い(負の連鎖)を正す必要がある。国民は、平和問題を考えるとき、抑止力というその考え方の危うさ、間違いに早く気が付くべきだろう。
戦争を避け、本当にアジアと世界の平和を築いていく覚悟があるのなら、日本の首相は、何度でも北朝鮮に出向いて行って話し合いをしてもいいだろう。世間のニュースを聴いてると、日本はこれまで何度も何度も話し合う努力をして、それでもダメで、国を守るにはもう武装化しかない、というような雰囲気になっている(されてしまっている)ようだけれども、小泉首相は、いまだ、たったの1,2回金正日総書記と握手をしたにすぎない。
1回目の2002年9月17日の訪問は、拉致問題をチラつかせての突然の訪問で、これが戦後、日本の首相としての初めての北朝鮮訪問だった。それまでの約60年間、隣国との外交は、握手すらしてこなかったということである。この戦後の隣国との外交の”遅れ”を取り戻すために、本来なら、必死にお互い顔の見える交流をしなければならないところであるが、2回目の訪問は2004年4月22日。つまり、1年以上も後だった。そして今月下旬(2006年6月下旬)に予定されている3回目の訪問は、前回からすでに2年以上も経過している。外交努力が圧倒的に足りないのは目に見えて明らかである。
その間の小泉首相はというと、世界各地で戦争をし、2002年1月29日の一般教書演説(http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0055.html)で北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しで非難・軽蔑したアメリカのブッシュ大統領と何度ともなく会談・親しくし、さらなる銃口を北朝鮮へ向けるべく武装化を着々と進めてきている。まるで火に油を注いでいるかのような、こうした日本の外交で、どうして隣国との平和が築けるだろうか。今の日本の外交は大きく間違っていると思う。
投稿: toriton | 2006年6月 9日 (金) 18時27分
確かに、日本の外交は、「周辺」との平和を築こうという姿勢が全く感じられない。小泉純一郎首相の訪朝は、不況対策の実質的成果がないために低下していた支持率の回復を狙ったものだったのを覚えている。拉致問題は、与党の政権維持と、朝鮮人を蔑視する勢力に利用されているように思えてならない。
以前は、米国が朝鮮民主主義人民共和国に戦争をしかけるはずはないと思ってたが、最近は自信がなくなってきた。日本は米国の道連れに人の道を再び踏み外すのか。その銃口は標的を探し続けるのだろう。
投稿: H本 | 2006年6月 9日 (金) 20時59分