アウェイでとどく言葉
昨日の集会、沖縄慰霊の日であることに触れた司会のあいさつが始まったのは、来場者が多かったためにだいたい10分遅れだった。2階席に座ったのだけれど、辺りを見渡しても空席が見つからないほどだ。
最初、実行委員として活躍した各地の団体がステージに登場した。遠くて顔がよく分からなかったけれど、ひらぎし9条の会の旗もあるのが分かった。そして、確か実行委員長からのあいさつが続いた気がする。
その後に登場したのがザ・ニュースペーパー。イシハラシンタローと社会保険庁のムラセキヨシ、最後に社会の授業でコントをやった。ザ・ニュースペーパーのコントを会場で見るのは2回目で、面白くないわけではないけれどあまり好きではないので、所々うとうとしていた。Youtubeで見たアベシンゾーは面白かったけど。
ザ・ニュースペーパーのコントが終わったのは開演から1時間ほど経過した頃だった。次の佐高信の講演の準備中に司会が出て来て、参加者にカンパを依頼していた。参加費を安く抑えたので赤字だから、カンパをよろしくということだった。立ち見も出るほど客が来ているのに赤字になるなんて、いったいどんな運営をやっているのだろう。そう思いながら、少しだけカンパに応じた。
佐高信の講演は、城山三郎への弔電の話題から始まった。渡辺淳一の話はどうでもいいので置いておいて、佐高信曰く、「城山三郎を語るときに大事なのは、勲章拒否と護憲の2点」だそうだ。実は、これまで城山三郎を知らなかったので、昭和天皇の戦争責任に関して重要な事実を後世に残したという彼の著書「落日に燃ゆ」を読んでみようと思う。
落日燃ゆ
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軍隊(自衛隊)は市民を護らない証拠として、1977年9月27日に米軍機が不時着して市民に死傷者を出す事件が起こった際に、自衛隊のヘリは市民を助けずに米軍のパイロットだけを連れて行ったという話があった。この事故で亡くなった母子の父親が綴った「『あふれる愛』を継いで 米軍ジェット機が娘と孫を奪った』という本こそが、憲法九条の本として紹介すべきだというのが、佐高信の主張だった。軍隊が市民を犠牲にするという事実は、戦時中では沖縄、旧満州での話が有名だ。戦後、軍隊でもないはずの自衛隊が、市民を護らないということを堂々と宣言する事件を起こしているとは知らなかった。この本は会場で完売になってしまったので、早速注文して取り寄せよう。
「あふれる愛」を継いで―米軍ジェット機が娘と孫を奪った
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城山三郎は戦時中、志願して海軍に入ったそうだ。しかし、後に振り返ったとき、「『志願した』と思わされた」、つまり、状況に強制されたのだと言っていたという。この点が、徴兵を免れて喜んだことに負い目を感じていた三島由紀夫と対照的なのだそうだ。このアナロジーで厳しいことをいえば、「『カンパした』と思わされた」参加者の気持ちも、実行委員会には考えてみて欲しい。
最後に、佐高信の講演で大事な点は、「アウェイでとどく言葉」をどう作り上げるかということだと思う。壊憲(佐高信は、現政権の行おうとしているのは改憲ではなく憲法を壊すことだと言っている。)を主張している一般の人たち、特に、地方の保守層に対して、憲法9条の必要性と改憲の危険性をいかに伝えるかが、これからの護憲の活動に重要だ。同様の主張を、去年、札幌で公演した加藤周一も話していた。やはり、小泉構造改革で切り捨てられた地方保守を護憲に引き入れることが、これからの大きな課題だろう。
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