4minutes
山は天気が悪いようだし、前日スキーを履いたままハイクしたせいで脹ら脛の筋肉痛がひどいので、事前に内容をほとんど調べないまま映画を観て来た。銀色のシーズンなんかじゃなくて、4分間のピアニスト。
風も強くて寒い日曜日のためか、朝イチのシアターキノは空いていて、整理券も配っていなかった。実際、上映が開始された時点でも座席は7割ほどしか埋まっていなかった。今日は暖房の音がちょっとうるさくて気になった。今週の札幌は寒いからしょうがないか。
エンドロールの直前にトラウデ・クリューガーの存命期間が表示されたので、ノンフィクションだったのかと思って公式サイトを調べてみた。すると、クリューガーは実在(モデル?)の人物で刑務所でピアノを教えていたそうだが、ジェニーを含めたクリューガーの物語は監督・脚本のクリス・クラウスの創作だった。フィクションだからダメというわけでは全然ない。ラストの演奏は力強く、人生を音楽で表現するというのはああいうことなのかと思いながら、ふとタンバリンのことが思い出された。きっと、音楽というのは「芸術」というよりも自己表現の手段なのだろう。
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コメント
>きっと、音楽というのは「芸術」というよりも自己表現の手段なのだろう。
なるほど、人生は表現だ。
ひさしぶりに映画観に行きたくなったよ、4minutes。
このキティもきっと何かの表現なんでしょ?
投稿: O | 2008年1月17日 (木) 19時37分
キノのヨーロッパ映画スタンプラリーでは、他に「僕のピアノコンチェルト (Vitus)」も面白そうだった。
http://eiga.com/official/bokunopiano/
今週末から「ひめゆり」も上映開始。
http://www.himeyuri.info/
キティは人生です。
投稿: H本 | 2008年1月18日 (金) 08時42分
忙しくて結局まだ何も観に行ってないけど、観たい行きたい願望だけは語あったりして・・・。
「僕のピアコン」もよさそうだね。「ひめゆり」は沖縄戦の彼女たちの体験を"不都合な真実"にしてしまわないためにも観てみたい。ウィキにペディアで、「沖縄をめぐっての平和論争とは一線を画し、中立の立場を貫いており、文部科学省選定作品となっている。」という説明文を目にして、"中立の立場"とは一体何なのかと疑問を感じた。ものごとの事実(ドキュメント)を本当に追いかけて、一つ一つの問題をとことん具体的に追求・取材していった先に見えてくるのは、果たして"中立の立場"だろうか?ひめゆり学徒隊を語る以上、ドキュメントが現代の沖縄の平和論議などとも関連する話題となることは避けられない事実(宿命)であるように思う。その宿命から一線を画すことは事実に意味を失うことになるような気がする。最近、新聞でもテレビでも"中立"を謳うものが多いけど、その結果かゆえか問題への踏み込みが浅いというか印象が薄いというか、事実内容がただ"右から左へ受け流されて"(笑)しまっているような印象を受ける。中立の立場を貫くのならば、むしろ両極にある様々な意見を包み隠さず表へ提示して世論に大いに議論を巻き起こさせるべきだろう。そういう世論の深い議論の中から初めて"中立性"とその事実が意味するもの(真実)が見えてくるのだと思う。自分の目でものをみる前から"中立"を意識することは何だか胡散臭い。
あと、音楽つながりで言えば、「グレン・グールド 27歳の記憶(1959/カナダ)」ってのも観てみたい。
投稿: O | 2008年1月23日 (水) 22時54分
これだね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/ひめゆり_%28ドキュメンタリー%29
ウィキペディアに書き込まれているこんな私感を、そんなに真剣に受け取らなくていいんじゃない?そもそも、自分で観てみないことには分からないし。案外、文科省が書き込んだのかもね。
ジャーナリズムの中立性なんて嘘っぱちでしょ。全国紙なら、産経、読売、日経、朝日、毎日、赤旗などを全部読んで、正しいことは読者が判断すればいいだけの話。中立っていうのは思考の放棄だ。ウィキペディアの文章を書いた人間に読解力がないことは明らか。といっても、どう受け取ろうが、観る人の勝手だけどね。
グールドはこれだね?
http://www.crest-inter.co.jp/glenn_gould/
生誕75周年だったんだ。
観たい映画ばかりだけど
「母べえ」
http://kaabee.jp/
も「北辰斜めにさすところ」
http://www.hokushin-naname.jp/
も観てみたい。ますます、「銀色のシーズン」なんてどうでもよくなって来た。
誰の言葉か忘れたけど、「映画は世界を変えることが出来る」と言った監督か俳優がいたはず。
投稿: H本 | 2008年1月24日 (木) 11時27分
>ウィキペディアに書き込まれているこんな私感を、そんなに真剣に受け取らなくていいんじゃない?そもそも、自分で観てみないことには分からないし。
所詮ウィキと思いつつも、つい頭にきてね(^_^;)
ドキュメンタリーの内容については観てみないとわからないけど、薄れゆく沖縄の事実をこうやって後世へ残そうとしてる取り組みはとても感心。
>ジャーナリズムの中立性なんて嘘っぱちでしょ。全国紙なら、産経、読売、日経、朝日、毎日、赤旗などを全部読んで、正しいことは読者が判断すればいいだけの話。
それしかないと思うんだけど、それもすでに右に偏っているかも(量的に…)。文字をたくさん読んで頭で思考を巡らすのも大事なんだけど、それ以上に体験が圧倒的に欠けているように思う。数年前に話題となった「バカの壁」によれば、現代人は「死体を見なくなった」らしい。現場の生臭いものをみていないと、人は想像力が乏しくなって正しい価値判断ができなくなる。風当たりのよいものでなく、現場の生臭いものを伝えるジャーナリズムが本当は求められているんだろう。市場主義がそれを妨げているけど、よい映画の訴える力に期待したい。
「母べえ」…さゆりすとじゃないけど観てみたい。
「銀色のシーズン」…映画館じゃなく実際に滑りに行こう!
…って、もうちゃっかり羊蹄行ってるし(羨)。
投稿: O | 2008年1月24日 (木) 17時05分
ジャーナリズムは量より質。分かる人には分かる。みんなが分からないと意味ないけど。
「死体を観なくなった」から死を想像することが出来ないなんてことが、想像力が乏しくなったことを示していると思う。
ちゃっかりというかこっそり行ったつもりだったけど、ここに書いたらバレバレだよね。
投稿: H本 | 2008年1月24日 (木) 23時15分