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有島記念館

ニセコの有島記念館へ初めて行って来た。

昨日の札幌の朝は、青空ものぞいていて日も差していたのだけど、それは一時だった。出かける頃には空はどんよりとして、そのうち雨も降り出した。当然、中山峠から羊蹄山は見えなかったし、一段と風も強まった。ニセコに着くと雨も上がり、ようやく青空もまばらに見えるようになった。

実は、有島武郎については全然知らなかった。武郎をたけおって読めないくらいだった。まあ、それは単にバカなだけなんだけど。「カインの末裔」という作品の名前だけは聞いて覚えていたので、彼がその作家なんだと知ってから、「有名な作家が北海道にもいたんだなぁ」と思う始末。もちろん、読んだことがないので、タイトルだけでストーリーは全然知らない。

有島武郎がただの作家なのだとしたら、きっとこんな記念館が建てられたりはしなかったんだろう。石原裕次郎がただの俳優かどうかはともかく、有島は少なくともここニセコにとっては、とても大きな存在だったらしい。今のニセコ町の市街地も含めて、広大な面積が有島の農場だったそうだ。つまり、今の大企業が派遣労働者を使うのと同じように、大地主として小作人をこき使っていたわけだ。

そんな彼も今の北大(昔は札幌農学校とか、いろいろ変遷があったようだけど)へ行って、新渡戸稲造や内村鑑三などの影響でキリスト教に目覚めて、農場を所有していることに苦痛を感じるようになったという。こう聞くと、キリスト教はいいものなのかと思うかもしれないけれど、ブッシュも一応キリスト教徒だし、欧米の多国籍企業が発展途上国で行ったことを考えるだけでも、キリスト教なんて都合のいい代物だと気付く。

経緯はともかく、実際、有島もその後キリスト教に懐疑を強めたらしく、結局は社会主義思想に向かって行った。当時のインテリに典型のように考えてしまえばそれまでだけど、今と同様、まともな良心があれば、弱者を搾取して既得権益を維持することには心が痛むのだろう。そして、有島は農場を開放したそうで、これが当時の社会で大きな反響を呼んだという。有島の死後、狩太共生農団が作られたらしい。このことを知って、以前に観た「NAKBA」に登場したイスラエルのキブツダリアが似ていると思った。ところが、日本の敗戦で北海道もアメリカに占領され、農地解放のあおりを受けて、残念なことに、共生農団まで解体されてしまった。

今まで知らなかったニセコの歴史を学ぶことができたけれど、解説に出て来た地名も面白かった。普通、羊蹄山(ようていざん)と呼んでいる後方羊蹄山(しりべしやま)は、当時も蝦夷富士と呼ばれていたようだけど、当時の呼び名にはマッカリヌプリというのもあったようだ。これが本来の山の名前なのだろうか。マッカリとは、きっと麓の真狩なんだろう。

ちなみに、有島は自分が所詮ブルジョアで、プロレタリアにはなれないと割り切ってから作家として盛んに活動して、作品を残したのだと書いてあった。といっても、それらの作品を読んだことはないけど。

この日、有島記念館では有島武郎青少年公募絵画展がやっていた。授賞式があるので、会場には椅子が並んでいたけれど。学生美術全道展とちがって中学生の作品もあったけど、中学生とは思えないような油絵でビックリした。というわけで、再び芸術の秋。

有島記念館

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