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劔岳 点の記

久しぶりにシネマフロンティアで映画を観て来た。「劔岳 点の記」のレイトショー。メンズデーだったけど。

地下1階からエレベーターで7階まで行って、扉が開いて歩き始めるやいなや、大きなザックを背負ったいかにも山屋のおじさんとすれ違った。観に来てるのは山屋ばっかりだという噂は聞いていたけど、まさか山からそのまま観に来たような格好の人に出会うとは思っていなかったので、もう唖然としてしまった。コスプレ?

さすがに、マニアの映画を夜遅くに観に来る人は少ない。ラブシーンもなかったし、イチャイチャしようもないだろう。

映像はとにかくきれいだった。立山はもちろん、日本アルプスの山々には全く登ったことはないので、山の深さにため息が出た。雲海に沈む夕陽、あるいは昇って来る朝陽が美しい。紅葉も雪景色もきれいだ。山が好きなら、映像だけでも見応えがある。吹雪の映像は見てるだけで寒かった。滑落シーンも痛かった。

「何のために山に登るのか」を考えさせられる。仕事、挑戦、いろいろあるだろうけど、自分が山へ登るのは、美しい景色を、映像ではなく自分の目で見たいからだろう。ただの遊びだ。山スキーから始めたので、登頂にこだわりもないし。だから、危険を冒してまで登頂しようとは思わない。でも、少なくとも美しい景色を見ていると、それを守らなければいけないという気持ちに自然となる。エコツーリズムの基本か?一方で、荒れた夏道を歩くと、自然との付き合い方に悩む。雪解け水や雨水は登山道を流れ落ちながら、山を削り草花をはぎ取って行く。人がたどり着くことが困難だったからこそ守られて来た自然が、登山用具の進歩と道路の開発による登山客の増加で、危機に瀕しているように感じる。登らざるべきなのか。

劔岳の厳しさには比べるべくもないけれど、山での出会いには、どこか仲間意識がある。求めるものは多少は違っていても、登ることで得られる何かを求めて同じ場所まで自分の足で歩いて来る人たち。道が険しくなればなるほど、その思いは強くなる。無事にたどり着いたことを互いに讃え合う。山にはそういう何かがあるのだと思う。

その前では、当時の日本軍がどうこうというのは、とてもつまらないことに感じてしまった。本当に「なかったこと」にしたのかどうかは知らないけれど、こうやって映画になるということは、劔岳を知っている人には、この映画の登場人物たちが残したものをしっかりと受け取っているのだろう。

映像を見ていると、日高へ行きたくなった。まだ、人がそれほど立ち入っていない場所。ダニとクマと戦ってでも行く価値があるような気がした。

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