雪豹に会えなかった
Snow Leopardにアップグレードしようと思ってヨドバシへ行ったけど、シングルユーザーもファミリーパッケージも、さらにはMac Box Setの両パッケージも売り切れだった。がっかり。仕方がないので、不具合が修正されてからアップグレードすることにしよう。
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Snow Leopardにアップグレードしようと思ってヨドバシへ行ったけど、シングルユーザーもファミリーパッケージも、さらにはMac Box Setの両パッケージも売り切れだった。がっかり。仕方がないので、不具合が修正されてからアップグレードすることにしよう。
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親戚からもらったカニを食べ終わったとき、カーテンの隙間から見えた空が赤く染まっているのに気付いた。慌てて玄関から外へ出ると、空はきれいな夕焼けだった。一度、写真を撮りに行こうかと思ったけど、食欲に負けてさんまの刺身を食べた。でも、食べ終わってから外を見ると、まだ夕焼けが残っている。今度こそ慌ててカメラを肩に引っ掛けて自転車に飛び乗り、豊平川の土手まで走った。
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目覚ましをセットしていた携帯電話がブルブル震え出した。4時だった。となりで、エンサヤさんの携帯電話も目覚ましが鳴り続けているけれど、身動き一つしない。テントは相変わらず強い風にバタバタと叩かれ続けている。テントの外も晴れているようには見えない。ご来光を観に桂月岳へ登ろうと目覚ましをセットしたけれど、結局、そのまま二度寝した。
ずいぶん前から大雪セレブ縦走の計画が立てられていた。ロープウェイで旭岳へ登ってロープウェイで層雲峡へ下りてホテルに泊まって飲み食いし、ロープウェイで黒岳に上って旭岳に帰るという計画だった。ところが、層雲峡のホテルはどこも10,000円は下らないし、ロープウェイを何度も乗っては金がかかって仕方がないので、一度参加辞退した。すると、大雪セレブ縦走から大雪テン泊縦走にしてもらえたので、ありがたく進んで参加した。実は、夏山でテン泊するのは初めて。テントを担いで夏山を歩くのが初めてだったので心配だった。
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南平岸駅前シアターの上映は、今週はずっとアルマゲドンのようだ。残念。
アルマゲドン [DVD]
販売元:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント |
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橘木俊詔さんの講演会「貧困問題と日本の選択」を聴きに、かでる2・7へ行って来た。かでるのロビーへ着くと、人がたくさんいる。高校生も多いけれど、まさか高校生が講演会に来るはずはない。あとで調べると、ホールで演劇をやっていたようだ。それで納得。
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OさんとEl Cidへランチへ行って来た。El Cidへ来るのは2回目。確か、3年前にJasminと一緒に保護者同伴で、教祖やらOやらH川さんも一緒の二度とないと思われる愉快な面子で行ったのを覚えている。懐かしい。店の雰囲気は全然変わっていない。
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最高裁裁判官国民審査では、×を付けずに白票にした場合は、信任票として扱われる。つまり、自分が万一、冤罪で最高裁まで行ってしまった場合に、この裁判官に任せたいという裁判官以外には×を付けなければいけないということだ。自分の無罪を明らかにしてくれると信じられる裁判官以外には、しっかりと×を付けるべきだ。
取り調べの可視化がまだ実現していない今、菅家さんのようにいつ誰が冤罪で苦しめられることになるか分からない。ましてや、裁判員制度で裁判期間が短縮され、死刑執行も増加しているため、冤罪で死刑になる危険性は高まっている。自分の安全を守るためにも、罷めさせるべき裁判官には×を付けよう。
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とりあえず、今回は6名に×を付ける。前半4名は副島隆彦氏より。
竹崎博允
裁判員制度、「ヒラメ裁判官」
那須弘平
佐藤優氏の最高裁への上告を棄却
近藤崇晴
元外務次官、小泉政権のイラク戦争支持に反対した天木直人氏を免職に
竹内行夫
小泉・竹中内閣による政策を批判した植草一秀氏の上告を棄却
桜井龍子
元労働局、御殿場事件
涌井紀夫
住基ネット
住基ネット差し止め訴訟担当最高裁判事への手紙
というわけで、期日前投票へ行く前にメモ。名前に「竹」が付く人と、女性。プラス、那須、近藤、涌井。
【8/26 追記】
ここも参考に、田原睦夫も×。
さらに、御殿場事件に関連して、金築誠志と宮川光治も×だ。結局、審査対象全員が×になってしまった。というわけで、今回も全員に×を付けよう。
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選挙が5日後に迫り、ビラが余っているとかで自宅近くで配るように頼まれた。300部なんて捌けるんだろうかと心配だったけれど、歩いてみて自宅の周りにはマンションやアパートといった集合住宅が多いことに今さらながらに気付いた。しかも、かなり古い建物も多い。これまで意識していなかったけれど、身近なところにも比較的貧しい人たちが生活しているのだと実感した。もちろん、一方で、立派な玄関のマンションもあって、住まいを見比べるだけで「格差」を感じる。
ビラ配りは公職選挙法でもちゃんと認められている選挙活動だけど、最近じゃ何があるか分からない。言いがかりを付けられて捕まるのは御免なので、かなり慎重に配った。まず、マンションでは管理人に配布の許可をお願いする。広告ビラも選挙のビラも区別がつかない管理人は仕方ないのであきらめる。一方、好意的な管理人もいて、ビラを見せるとちゃんと許可をくれる。やっぱり集合住宅では20、30枚はいっぺんに配れるので、お得感がある。
配って回っていると、あるアパートで同じく選挙ビラを配っている民主党の地区委員会?のおばちゃんと一緒になった。なぜか仲間意識を感じてお互いに励まし合う。とりあえず、自公政権の終焉という意味での「政権交代」は一致した目標ということだろうか。
広告ビラは自宅にもよく入っているけれどみんな嫌がるようで、それぞれの家で撃退法を講じているのが面白かった。「ビラお断り」とはっきり書いている家もあれば、そもそも、郵便受けを塞いでしまっている家もあったけど、こういう家は郵便物をどうやって受け取るのだろうか?ちょっと不思議だった。
多かったのは、郵便受けの奥に硬いブラシの扉が付いているもの。新聞や厚い封書や雑誌などはブラシの奥まで曲がらずに通り抜けるけれど、ビラのような薄くて柔らかい紙は、ブラシの手前で折れて曲がってしまう。なるほどよく考えたものだ。自宅にも今度取り付けてみよう。
たまたま庭に出ていた人が声をかけて来たので直接ビラを手渡そうとしたら、「うちは入ってないから、ごめんなさい」と断られた。まあ、自分だって党には入ってないんだけどね。そもそも、入ってない人が見るためのビラなんだと思うけどなぁ。駅前とかでビラ配りしてるから、支持政党以外のビラを受け取ることがよくある。比較すると面白いから。選挙に限らず、自分とは考えがちがうものから学んだり刺激を受けたりということが本当は大事なんだと思うけど。
1時間以上配って回ると結構ヘロヘロ。何より精神的に疲れた。防犯カメラの気配がする。どこかに公安がいないかと心配になったり。自衛官とすれ違うときは恐かった。家に無事帰れてホッとした。国家権力による監視社会はうんざりだ。ビラは結局、50部弱は残った。ライオンズマンションで配れなかった分かな。
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会場が近いので、はじめは自転車でバドへ行こうと思っていたけれど、雨がパラパラと降っていたのでひよって車で出かけた。人数がそろうまで待ってから中へ入る。いつも最初に来ているえすきくんが遅れてやって来た。どうやら、クライミングで痛めた右肩が調子悪いらしくテンションが低い。でも、H多さんも来たし、O川くんも来たので、最終的にはバシバシ打った。
といっても、前日のクライミングで握力が弱くなっているので、スマッシュがいつも以上に打てない。セコいサーブやコースをコントロールして誤摩化す。もう少しネット際の駆け引きができるように意識しよう。
終了時間近くに突然雨が降って来て、天井を強く叩いた。自転車で来なくて正解だった。小振りになっている間に車へ急いで、家まで帰った。
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2週間ぶりで南平岸駅前シアターへ行って来た。この日の上映作品は観たことがあるので「アルマゲドン」だと分かった。
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今回は歯周病の検査。治療の効果を確認する。本を読んで待っているうちに眠くなって、いつの間にか寝てしまっていた。名前を呼ばれて驚いて起きる。
歯周病の検査は少し痛いので嫌なんだけど、その後見せられた歯周精密検査表に、BOP (Bleeding On Probing) が21.4 %と書かれている。目標の倍の値。奥歯の歯周ポケットの深さもまだ4 mm以上が3本も残っている。結局、もう一度クリーニングすることになってしまった。完治させてしまいたいので、我慢してまた通うしかない。
ところで、17時前後には行かない方がいいのかもしれない。ちょうど歯科衛生士のシフト時間なのか、かなり急いでいたようで痛くされた。つまらないことで痛いのは嫌なので、次回は30分早い時間に予約。
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夕方、えすきくんに迎えに来てもらって、二人でまたNAC札幌へ行って来た。今回はボルダリングが目的なので、受付後まっすぐ奥の壁へ。
まず、ウォーミングアップに右から左へ向けてトラバースしてみた。前回は上の方の沿ってるところを通って失敗したので、下を通ってみる。そのせいか、前回よりは続いたけれど、どこのホールドを使うといいのか考えながらやってるうちに力がなくなって途中で断念。もっと感覚的に動けるようにならないとダメだ。
前回登った課題を探したけど、もう、ちがう課題しかテープが張ってなかった。仕方ないので、その課題を適当に登ってみた。初めのうちはまだ力があるので、多少強引な登り方でも簡単な課題は登れてしまう。それでも登れるとうれしいんだけど。
筋力なのかセンスなのか、えすきくんより下手なので、えすきくんが先にクリアした課題をコツコツ練習。休み休みやってたけど、1時間も経たないで握力がなくなった。それでも頑張って続けていると、今度は指の皮が剥けてしまった。強制終了。
仕方ないので、今度はカメラを持ってえすきくんを見物。
えすきくんは最後に成功したけれど、変な方向に力がかかったみたいで肩を痛めたそうだ。ちょっと怪我が多すぎだと思うけど、慣れないことをやるからだろう。もうちょっと慎重な方がいいのかな。
NAC札幌は秀岳荘本店外壁よりも初心者が多いので気分的に楽。広いから結構好きにできるし。
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エンサヤさんの実家から帰って来た後、急遽、聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝を観に行って来た。この日が最終日だったからだ。確か、近代美術館へ行くのは3/12にセザンヌ主義を観に行って以来だから、ほぼ半年ぶり。パスキン展だったかな。
美術館は最終日の日曜日だけあって、かなり混んでいた。自分のペースでは全然観られない。入口にあった謝辞を読んでまず違和感があった。中華文物交流協会、中国チベット分か保護発展協会の謝辞には、「中国は、古くから統一された多民族国家であり、……」とある。今の中国として統一されたのは戦後だし、そもそも古くからってのはいつからなのだろうか。チベットは昔から中国の領土だと言いたいように思えてならない。
チベット仏教というか、密教のすごいところは、日本の仏像からは想像がつかないような、不思議な仏像が多いことだ。入口のところにはおみくじがあって、観客は自分の守り神を引き当てて、展示から探し出す趣向だった。その守り神は、空飛ぶ智慧の女神ダーキニー。修行者が悟りを開く助けをする、知恵の女神。超能力を持ち、空を飛べる。踊りも得意。知恵を授けてもらいたい人にはこの守り神。
らしい。頭の悪い自分にはぴったりだ。でも、展示には油断していると食われるようなことを書いてあったような気がする。
会場は混んでいるので、全然自分のペースでは観れない。前の客の頭越しや隙間から展示をのぞきながら、流れよりも早く観て回った。仏像は金色に輝いているものが多くて色彩も鮮やか。日本の仏像のように穏やかで落ち着きのあるものとは対照的に、激しい怒りが表されているものが多い。悪を追い払うためだとか。女神が多いのも面白い。びっくりしたのは父母仏。男尊と女尊が抱き合って悟りを開くという。本当に抱き合った仏像なのだからすごい。この像を見ただけでも、悟りが開けたような気分だ。
美術展は2時間回るのが限界。若干、二日酔い気味で、結構疲れてしまった。
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ユーパロの湯に寄って疲れを癒してから、エンサヤさんの実家へ向った。雲の下のきれいな夕焼けを見ながら帰り、家に着くと、ひでジイさんがもう炭に火を熾して準備をしてくれていた。家に入ってあー☆さんにも挨拶して、みんなビールをもらってバーベキュー小屋へ移動。焼鳥も肉もすぐに食べれるくらいに焼き上がっていて、早速みんなで食べ始めた。
あー☆さんおすすめのかまぼこがモチモチしていて美味しい。カネヒロのジンギスカンも美味かった。焼肉も手羽先も塩加減がちょうどよかった。あー☆さんが育てたナスとミニトマトも美味しかった。つい一人で何個も食べてしまった。
遅れてエンサヤさんの友だちのおかんさんとSさん(HN忘れちゃった)の二人がやってきた。エンサヤさんとえすきくんからSさんはすごいと聞いていたのでちょっと心配だったけど、本領発揮ではなかったとかで無事だった。エンサヤさんを見慣れてるので、肌の白さはすごいと思ったけど。おかんさんとエンサヤさんは、遠い遠い親戚にあたるんだっけな。町中みんな親戚っぽいところにカルチャーショックだ。
焼肉が美味いし、みんなで話して楽しかったので、いつになくビールを飲んでしまった。焼肉が終わり、眠気を感じながら家の中へみんなで移動した。H多さんと悠らりさんに代わって持って行ったケーキを食べようということだったけど、そんなに期待されるようなものじゃない。心配していたけど、クリームが美味しいと言ってもらえたので、まあ合格点だろう。あー☆さんには「今度はキッシュも作って」と頼まれたけど、それはさすがにH多さんじゃないと無理です。
お待ちかねの上映会。エンサヤさんの沖縄旅行のビデオ上映だったけど、きれいな映像を見ているうちに、だんだんまぶたが重くなって来た。気付いたらうとうとしていて、布団を敷いてくれることになった。協力して布団を敷き終わると、いつのまにかおかんさんたちが一つの布団に潜り込んでいた。少し動いたので目が覚めた。せっかくなので、古酒を一杯もらって飲みながらビデオを見てたけど、さすがに一気に眠くなってしまった。結局、ビデオの途中でみんな寝ることになったので、歯磨きしてから布団に横になると、一瞬で眠りについた。
4時頃、尿意で目が覚めた。さすがオヤジ。トイレから帰って来て水を飲んでまた寝る。その後も、30分から1時間置きにトイレと水を飲むのを繰り返す。6時頃だろうか、おかんさんたちが帰って行ったようだった。寝ぼけていたので、あまり記憶がはっきりしていない。海へ旅立ったのだろう。
えすきくんとあー☆さんの話し声で目を覚ました。そろそろ8時だっただろうか。布団を片付けると、ひでジイさんがコーヒーをいれてくれた。若干、二日酔いっぽいけど、外は晴れているしいい朝だ。この日の朝食も野菜たっぷり。エンサヤさんはゴーヤーチャンプルーを作ってくれた。調子に乗ってお腹いっぱい食べてしまったので苦しかった。もう動くのが面倒になってしまう。エンサヤさん一家のちょっと恥ずかしいアルバムなんかを見たり、エンサヤさんの沖縄写真を見たりして過ごした後、10時半すぎに、札幌へ帰ることになった。
あー☆さんから家へお土産にとうきびをもらった。ありがとうございます。何だか本当に、まるで我家のようにエンサヤさんの実家でくつろいでしまった。天気が悪くなくて日曜日に登山だったら、エンサヤさんの親戚の人たちも一緒に行けたそうなので、登山会はそのうちどこかでありそうな予感。
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計画が二転三転しつつも、何とか初めての夕張岳へ登って来た。
いつものように週末の天気が悪いという予報だったので、日曜日に夕張岳へ登るのはあきらめて、エンサヤさんの実家で沖縄旅行で撮影したビデオの上映会や麻雀を楽しむ予定だった。ところが、金曜日の夜にエンサヤさんから返事があって、天気予報で晴マークになっているから山へ行こうという。天気が崩れるのが遅くなったようだ。すっかり登らないつもりでいたのでなかなかテンションは上がらないけど、せっかく晴れるならやっぱり登りたい。急遽、翌日夕張岳へ登ることにした。
けれども、エンサヤさんの実家に泊まるのは登山口へのアプローチを楽にするためだったので、その意味はなくなってしまった。結局、朝は5時にえすきくんに迎えに来てもらう予定になった。
5時前に準備を済ませて待っていると、えすきくんから30分くらい遅れるという連絡が入った。エンサヤさんは昨晩、飲み会だったので、ある程度予想はしていたけれど。二人に合流してから話を聞くと、えすきくんがエンサヤさんの家に迎えに行ったら、エンサヤさんは外から帰って来たそうだ。寝坊どころではない。言い出しっぺがこの有様では、えすきくんも呆れたことだろう。今、改めて考えてみると、自分が迎えに行っていなくてよかったかもしれない。優しいえすきくんとちがって、完全にキレていたかもしれない。よかった、よかった。
北広島ICから高速道路へ入り、爆睡するエンサヤさんを乗せて夕張まで直行する。予報通りに青空が広がっている。朝の陽射しが暑いくらいだった。夕張の手前でコンビニに寄ってから、国道を左折して夕張の方へ北上する。途中、ナビを間違って夕張市街地へ行ってしまったけど、すぐに戻ってシューパロ湖を目指した。右手に見える湖の端へ来たところで、右手に登山口入口の標識が現れる。ダンプカーの後に続いて細い道路を走って行った。舗装されていて走りやすいけれど、かなり奥まで続いている。しばらく走ってダンプカーも工事現場でいなくなってしまうと、いよいよ砂利道に変わった。細くてガタガタ。たまに右側の視界が開けて崖が見える。落ちたら死ねるね、と話しながら進んだ。激しく揺れる車の中でも、エンサヤさんは熟睡していた。
登山口に無事到着すると、さすがは夕張岳。車が10台はすでに停まっていた。青空が見えなくなって残念に思いながら、登山口を8時すぎに出発。元気なうちに登りは急な方の馬の背コースで行くことになった。夕張岳ヒュッテの前を通り過ぎて少し歩くと急登が始まる。雨で粘土質の地面が濡れているので、足下はとても滑りやすい。自分以外は怪我を抱えているので、慎重に登って行った。1時間弱で急登を終え、924 mのピークに到着。一部、青空ものぞいたけれど、風も強く天気の好転は期待できない。
一度下って、左手前方の木々の間に滝ノ沢岳の山肌をチラチラと見ながら、少し緩やかになった山道を登って行く。ほどなく冷水コースとの分岐に着いた。そこからは1本道。馬の背コースよりは緩い急登で、比較的整備されているので歩きやすい。
登山道沿いにはもう秋の花も咲いている。
前岳の左を巻いているとき、少しだけ夕張の山並みが見えた。
途中、水が流れている小さな沢を横切るとき、少しルートが分かりづらかった。一度様子を見てから戻り、左へ進むと登山道が確認できた。
お花畑へ着く頃には、あたりはガスの中。風も強くて寒いくらいだった。
山頂までの最後の急登の手前で鳥居が現れる。何かの力で守られているかのように、そこでは風が弱かった。山頂まではあと一息なので、まず、さっと登って降りて来てから休むことにした。
寒いのを我慢しながら何とか登頂した。約3時間半。千葉から二百名山だか三百名山登頂を目指して来ていたおっちゃんの撮影をしてあげてから、鳥居のところまで戻って休憩した。
30分くらい休んでから下山開始。天気がよくなる気配はなかった。
前岳を過ぎる当たりからはもう雲の下で、登りのときとそれほど様子は違わなかった。山頂部だけが雲の中だったようだ。
帰りは冷水コースを通る予定だったので、分岐を目指して下りていたけれど、なかなか分岐が見つからない。GPSのデータと400 mはずれた場所だった。分かりづらい。
冷水コースは馬の背コースに比べてかなり楽。これなら二人も安心だろう。そう思っていたところ、雨がパラパラと降り始めた。通り雨だろうと思って、一応カッパを用意して下山を続ける。15:30すぎにようやく登山口にたどり着いた。それから車へ戻った途端、バケツをひっくり返したような雨が落ちて来た。慌てて車に乗り込む。危なかった。
国道までの道路が道路なので、ゆっくりしないでさっさと帰る。路肩が緩んでからは、あんな狭い道路を走りたくない。温泉へ急いだ。
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この間クッキーを作ったとき、グランマが「何入れたの?」、「何グラム入れたの?」と、よくもこんな不味いものを作ったなと言わんばかりに聞いて来た。どうやら自分でも作ってみたかっただけのようだが、言い方が喧嘩腰なので分かりづらい。
クッキーのときは老年性振戦で戦力外通告を受けていたグランマに、今回は復帰してもらった。でも、いくら振戦で手が震えると言ってもハンドミキサー代わりにはならないので、卵黄をといたり、黒糖をこしてもらったりと、簡単な作業だけ手伝ってもらう。それなりに楽しんでいるみたいなので、まあ、いいだろう。
前回は生地を焼きすぎて表面が焦げて、中もパサパサになってしまった。失敗の原因は、おそらく角皿を使ってオーブンで焼いたときに、下段ではなく上段を使ったせいだろう。何とか今度こそ成功すべく、レシピを見ながら作った。とはいえ、前回とちがって放送を見てからしばらく時間が経っているので、手順などを忘れてしまっていた。写真もないので作るときの様子を思い出せない。
角皿があれば型は要らないとH多さんに教えてもらったので、若干型より広いけれど、角皿を型の代わりに使ってみる。今回はちゃんと下段に角皿を乗せて、焼くときも温度を190℃に設定し直して焼いた。焼き上がると、確かに焦げたりせず、ちょうどよく色が付いている。生地がパサパサしてないか気になったけれど、冷めてから切り落とした端の部分を食べると、前ほどはパサパサしていなかったけれど、ケーキ屋の生地のようにはしっとりとしていなかった。米粉を使っているせいだろうか。
黒糖の生クリームを巻いてロールケーキにするけど、きれいな「の」の字にできなかったのが残念。とりあえず、冷蔵庫に入れて冷やした。その後、切って食べてみると、生クリームは美味しいけれど、生地がイマイチ。今度は薄力粉で作ってみよう。写真撮り忘れた。
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3週間ぶりにバドへ行って来た。アップでTくんと打ち合うと、強い疲労感に襲われた。身体が重くて動かない。冷汗のような、不快でべっとりとしたような汗をかきながら、アップを途中で切り上げて休む。
少し休むと調子が戻ったので、その後はいつも通りに楽しく羽打ち。あのダルさはいったい何だったのだろう。
休憩時間に、Tくんにステップを教えてもらった。利き足に体重を溜めて、反対の足を軸にして打つという基本は理解できた。試合中に意識するのは結構難しそうだけど。
最後にTくんに5点ハンデで15点マッチでシングルス勝負。デュースで負けちゃったけど、何となくステップがよくなった気がする。
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1ヶ月ほど前からグランマは新聞に挟まって来る広告を集めては、何やら折っていた。どうやら箱を作りたいらしいのだけど、折り方を忘れてしまったようで、何度も挑戦しては上手く箱にならずにため息を繰り返していた。頭の体操になるからと思ってずっと放置していたのだけど、さすがに見るに見かねて、作り方を教えてあげることにした。
広告を一枚手に取り、半分に折る。また、半分に折る。……。作り方が分からない。
そんなときはとりあえずネットを調べてみる。思った通り、こんなサイトがあったので、書かれた手順通りに折って行くと、何だか小さい頃に作ったことがあるのを思い出した。確かにこんな箱を作った。
そんなに難しい折り方ではないので、早速、グランマにレクチャー。折り目が見えなくて苦戦しているけれど、こちらの指示に従って無事に箱は完成した。グランマはもう作れるようになったつもりでいるので、次は、一人で作ってもらおうとしたけど、案の定できなかった。がんばりましょう。
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昨日の正午、大通3丁目で行われた日本共産党の街頭演説を聴きに行った。ちょうど昼休みの大通公園にはたくさんの人が集まっていた。けれども、集まっている年齢層を見ると、やっぱり中高年が圧倒的に多い。北海道の選挙区に立候補している4人の演説から始まった。岡ちはる候補の話は前にも聞いたけれど、情に訴える話が上手い人だと思う。教員だった母親に憧れて教育大へ通う女性が、母親の病気で今月中退せざるを得なくなった話。母親がサマーキャンプの参加費が払えなくて七夕の短冊にお願いをするけど、それを見つけた先生には母親に内緒にしてくれるように頼む小学生の話。どちらも日本の教育費の異常を象徴する話だった。
最後に演説を行ったのが志位和夫委員長。党首討論会でいつもは麻生総理大臣に質問するけれど、自公政権が終わるのは目に見えているので、質問する気にならないと話していた。今や自民党も総理大臣も、日本共産党にさえ相手にされなくなってしまったようだ。
演説の内容は、日本共産党の総選挙政策ダイジェストに詳しく書いてある。労働、医療、教育、農業と4つの異常について話していた気がするけど、中でも教育について、奨学金の話は他人事ではなかった。つい先日、教育ローンの取り立ての封書が届いたばかりだ。卒業と同時に200万円の借金を背負った。大学院も合わせれば、500万円以上の友人もいる。いつのまにか、国立大学ですら金がなければ通えない時代になってしまった。大学である先生に聞いたことがある。ラーメンの値段は3倍になったが、授業料は10倍になったと。確か、そんな話をしていたのを覚えている。
北海道では自由貿易協定 (Free Trade Agreement; FTA) が一番の問題になっているはずだと思う。食糧自給率が40 %を切る日本において、北海道は自給率200 %という日本の食糧基地を担っている。この北海道の農業に大打撃を与えようとしているのが、自公政権が進めて来た日豪FTAであり、民主党が公約として掲げた日米FTAだ。WTOの主導で先進国と自由貿易協定を結んだ南米、アフリカ、アジア、世界中の国々は、軒並み自国の農業を破壊され、食糧を先進国からの輸入に依存するようになってしまった。牛肉、オレンジの輸入自由化のように、これまでにも自動車や鉄鋼、電機といった工業を保護するために、日本の農業を生け贄に捧げて来た。「日本は資源のない国だ」と子どもの頃から散々洗脳して、日本の水資源の賜物である米をはじめとして農業をことごとく潰して来た。その瀕死の農業にとどめを刺そうというのが、自公、民主が掲げるFTAだろう。
札幌市民は演説を聞いてどう思ったのだろうか。都会で便利な生活をしていると、しわ寄せを食って苦しい生活を強いられている農家のことは分からない。換算すると時給100円ちょっとだそうだ。苦労して育てた米ですら、ペットボトルの水より安いらしい。
皮肉なことに、北海道に一番大きな痛手を加える日米FTAが、政権交代によって実現してしまう恐れがある。かといって、政権交代が起こらなくても日豪FTAが実現してしまう可能性が高い。政権を選択できても、北海道の未来を選択できないというのが、自民党と民主党が進めて来た「二大政党制」の真実だ。
政権交代の後に総理大臣になる可能性が高い鳩山由紀夫は、その北海道9区だ。新党大地の鈴木宗男もその鳩山を総理に推している。異常さが際立っている。北海道をFTAから守るにはどうすればいいのか。日本共産党が本当に「防波堤」になれるのか。「防波堤」になれる政党があるのか。まじめに考えると気が滅入る。
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3/1に納車してから、早いもので5ヶ月ちょっとで走行距離10,000 kmを超えてしまった。ETC割引で遠出が多いことと、病院と自宅との往復などで以前より車を使う頻度が高くなったことが、大きな原因だと思う。それでも、一人の時はできるだけ車に乗らずに自転車に乗るようにはしているつもりだ。1時間以内ならなんとか。
ガソリンがハイオクからレギュラーに変わったのは気分的に大きかった。燃費も少なくとも2、3 km/Lは向上していると思う。とはいえ、新車の価格に比べたらゴミみたいなものだから、追加経済対策ってすごいなぁ。これで減った分の税収も、自民党は消費税増税で賄うって言うんだから、みんなたまったもんじゃないだろうなぁ。新車を買える人と自動車メーカーが得した税金を、新車を買えない人が賄ってやるという制度なんだから。
自民、公明、民主、共産、社民、国民の6党に限って見た場合、消費税増税を明言しているのは、前半の自民、公明、民主の3党。うち、民主は4年後に増税としている。今度の選挙で政権交代が起こり、民主党中心の政権が誕生するのは確実だとして、自民、民主の賛成多数で、比例定数削減が行われる。民主党中心の政権が任期満了を迎えて4年後に再び選挙が行われると、民主党中心の政権が続いても、改めて政権交代が起こって自民党政権が生まれても、結局、消費税増税が行われることになる。
4年後にも消費税増税が行われないようにするには、比例定数削減の阻止が不可欠で、その上、自民でも民主でもない勢力が一致して増税に反対しなければいけない。なんと険しい道のりだろう。ちなみに、定数削減の問題点は、共同声明「国会議員の定数削減に抗議する」を読むと分かりやすい。
そもそも、民主党が4年間消費税を増税しないというのも公約であって、政権をとったときにその公約が守られるとは限らない。企業献金を禁止するとは言ったものの、これまで引き下げ続けて来た法人税に全く手を付けようとせず、企業献金は3年後に禁止すると弱気だ。労組にしろ財界にしろ、大企業の顔色をうかがうしかできない民主党の弱さの現れだろう。自公政権同様、消費税増税しか財源として思い浮かばない。
4年後の増税が避けられないとしても、その場合は日本以外の多くの国のように、複数税率を導入して、食料品を非課税に、あるいは、低い税率に抑えることを目指すしかないだろう。この点に関しては、今度の選挙後に民主党の気が変わって、「やっぱり消費税増税します」となった場合にも必要になる対抗策なんじゃないだろうか。
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小学校の頃は図工が得意だった。通信簿でもいつも「よくできました」をもらっていた。今でも基本的に手先は器用な方だと思う。
ところが、グランマの巻き爪を切るのには苦戦した。足の指に爪の両端が食い込んでいる。あまり奥まで切ろうとすると痛がる。子どもの柔らかくて小さな爪にも手を焼いたけど、それ以上に難しい。
しかも、水虫というのも精神的に苦しい。我家で水虫が新型インフルエンザのように本格的に流行しないことを祈る。これといった対策はとってないが、慢心してるのだろうか。
それにしても、爪を切るのに持ち上げたグランマの足は浮腫んでいてひどい。ハムのようにパンパンだ。上半身は皮と骨しかないくらいなのに。グランマの体内でも、リンパ液の格差が相当広がっている。
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再び天木さんの言葉になるけれど、結局は、鳩山民主党が政権を取るしかない。鳩山民主党政権の下で、いかに鳩山民主党政権が正しい政策を進めて日本を蘇生させるか、それだけである。
例えば、民主党の「子ども手当」は増税と抱き合わせという問題がある。配偶者控除と一般扶養控除の廃止で1.4兆円もの負担増を国民に求めている。中学生以下の子どものいない65歳未満の専業主婦世帯など約600万世帯が差し引き増税になるそうだ。こうした民主党の政策の問題点を正すのが野党の役割だろう。
ただし、天木さんが言うように、自公政権の政策に関心を払わなくていいかといえば、そんなことはないはずだ。自民党と民主党は政策の一致点では必ず結託して来るだろう。例えば、「子ども手当」などよりもこれからの日本に大きな影響を与える比例定数削減や改憲は、自民・民主が議席の過半数をおさえてしまえば、すんなり法案が通ってしまう恐れがある。そこで野党の主張を反映させるには、自民党の議席をできるだけ減らし、民主党を一人勝ちさせないことが必要なのだと思う。
実際、先月行われた都議選では、自公政権への批判から民主党が一人勝ちする結果となったけれど、都議会において民主党は自公とともに「与党」として石原都知事の悪政の数々を支持して来た。実質的な大連立が行われないためにも、社会福祉の充実を掲げる護憲政党が議席をしっかりと確保しなければいけない。
【追記】
民主党の増税についての言訳。
公示日の18日、大家さんに誘われていたので行ってみた。事務所の場所が分かりにくいから一緒に行く約束だったが、10分前になっても連絡が来ない。こっちから迎えに行っても、案の定、反応がない。とりあえず、地図を見ながら事務所のあるアパートまで行くと、他の参加者と一緒に事務所へ入った。
地域住民による後援会なので、とにかくおじー、おばーばかりだ。定年退職した人がメイン。会費分の食べ物と酒はちゃんとご馳走になる。酔っぱらった年寄りが、戦争体験を語るのを聞く。上官は自分のことしか考えないで真っ先に逃げるのは、どこでも共通のようだ。そんなお年寄りたちの嘆きは、公園で小さな子どもを抱えている若い母親のような人たちが、どうして共産党を支持しないのかということだった。一方で、そういう人たちも対話を通して支持に変わるという報告も。結局のところ、若い人の多くは生活することで精一杯で、どうすれば生活を改善できるかとか、どうして生活が大変なのかとか、そいうことに頭が回ってないのが現状なんじゃないかと思った。
面白かったのは、今は自由だとお年寄りがしみじみと語ったこと。昔だったら、こんな集まりをしてたら一網打尽だと。確かに、そういう意味では、今は戦前戦中に比べるとはるかに自由だ。政府を批判することもできるし、言いたいことも自由に言える。
それにしても、北海道3区は自民、民主、幸福の3候補しか立っていない。誰に投票するのかというのと、候補者がいないと盛り上がらないというのが問題らしい。まあ、共産党の候補がいても自分なら入れないと思うけど。とにかく、比例でがんばってもらうしかないだろう。
お開きになると、酔いつぶれた大家さんを抱えて一緒に帰った。医者に止められてるとは思えない飲みっぷりだった。自宅へ連れて行ってから、成り行きで大家さんの愚痴のような話を聞く。1時間もすると自分も眠くなったので、仕方なく玄関まで送ってもらって帰った。
翌朝、ゴンッゴンッという何かを打ち付ける音が外から聞こえたので、不審に思って玄関の外へ出ると、大家さんの家とうちとの間のスペースに、選挙の看板を立てているところだった。大家さんがOKをちゃんと出したわけじゃないらしいが。場所が場所だけに、グランマが通るときに危ないので、少し枝を切ってもらった。立っているのは選挙が終わるまでらしいので、しばらく我慢しよう。
大家さんと話すと、昨晩はどうやって事務所から帰って来たか覚えていないそうだ。朝、目が覚めたら玄関で寝ていたとか。生きててよかったけど、うちの一家が放り出されないためにも大家さんにはしっかりして欲しい。とはいえ、昨晩は、年寄りの一人暮らしの大変さを垣間見た気がしたひと時だった。
北海道3区に幸福実現党が立候補しているので、何となく見てみたらすごかった。前文を読んだだけで、開いた口が塞がらない。
前文
われら日本国国民は、神仏の心を心とし、日本と地球すべての平和と発展・繁栄を目指し、神の子、仏の子としての本質を人間の尊厳の根拠と定め、ここに新・日本国憲法を制定する。
いくら自民党と民主党の両方嫌いだったとしても、こんなところにだけは入れられない。確かに「ご自由に」なんて言ってはいけない。
小選挙区に関しては、事実上「政権選択」選挙になってしまってた。今さら選挙制度に文句を言っても遅いけど、自民・民主が今の制度に変えて来たんだから、比例定数削減の危機が迫っているように感じる。歯がゆい。
ホタテの貝柱をもらった来たからホタテご飯を作れと言われた。とりあえず、適当に調べて作ってみた。ホタテの貝柱を水で戻すときに、どのくらいの時間が必要かよく分からなかった。そもそも、ホタテの貝柱は珍味で、料理に使うものだとは思ってなかったし。
時間は15分から30分くらいなので、米を研いだ後に込めと一緒に多めの水にホタテの貝柱を放り込んだ。にんじんも5 mm角のブロックに切って、傷みかけてた椎茸も切っていれる。普通のご飯と同じように炊きあがると、さすがにホタテの出汁が効いていて美味しそうな香りだ。
ホタテの貝柱を全部使ってしまって怒られたけど、食べごたえがあったのでよし。もう少し戻した方が良かったとは思うけど。
自分では一度も行ったことはないけれど、日本にはすたみな太郎というすごいレストランがある。焼肉と寿司に、総菜、ご飯、麺にスープと、何でもありだ。これだけ豊富なメニューを用意されていると、自分の食べたい物を自由に選べていいと思う人と、こんなにたくさんの中から選べないという人がいるかもしれない。
メニューの種類があまりに多すぎると質の維持の点でも大変だろうけど、選択肢があるというのはいいことだ。いい料理を提供しようという店では、必然的にメニューの種類は少なくなるけれど、選択肢は残される。もちろん、おまかせで頼んでもいいとは思うけれど、選択肢が二つしかなくなってしまったとしたらどうだろうか。
レストランに入ってメニューを見ると、カレーライスとラーメンしかない。ハンバーグが食べたかった人は悩むだろう。あるいは、カレーライスを食べたかったのに、ラーメン屋しかなくて、しょうゆラーメンと塩ラーメンしか選べなかったら、食べる気がなくなってしまうかもしれない。
今、メディアが盛んに「政権選択」という言葉で宣伝している二大政党制というのは、日本の飲食店をすべて、しょうゆラーメンと塩ラーメンしかないラーメン屋に変えようとしているようなものだ。さすがに、ちょっと言いすぎだろうか。とすれば、ラーメン屋とそば屋だけにするようなものだと言い換えてもいい。ご飯が食べたいのに、麺類しか食べられなくなるということだ。もちろん、チャーハンや天丼はラーメン屋とそば屋のメニューにない。選択肢が二つに絞られるということがどんなに恐ろしいことか。しかも、ひどいときは、ラーメン屋の看板を立てているのに、メニューにはそばしかない場合もある。みんな品揃えが豊富な店が好きなんだから、冷静に考えれば二大政党制は拒否すべきだろう。少なくとも「おまかせ」だけは止めよう。予算が5,000円と言って注文したのに、50,000円請求されるかもしれないから。
親子岩ふれあいビーチを出発して、様似中央公民館へやって来ると、盆おどりの準備が始まっていて、駐車場には車が結構停まっていた。小樽商科大学 プレクトラム・アンサンブルの演奏会で友だちが演奏するというので、はるばる様似までやって来た。サークル名からしてはっきり言ってナゾだが、要はマンドリンのサークルだ。マンドリンの演奏を聴くのは、高校の友だちが北海道大学マンドリンクラブ「アウロラ」にいたときに何度か演奏会へ聴きに行って以来だ。そもそも、友だちがいなければマンドリンなんて聴いたりしなかったと思う。マンドリンも一応、クラシックなんだろうけど、スキーに例えるとテレマークのようなマニアの領域のように思う。Mクラシック。
公民館の中へ入ると、ちょうどメンバーが控え室からステージの方へ移動するところだった。受付でプログラムをもらって入場する。公民館の中は結構立派で、札幌の新設小学校の体育館のようだった。友だちはギターなので、きっと向って右だと予想して、右側の座席に座る。
しばらくしてメンバー登場。ここで座る席を間違ったことに気付いた。顔が見えない。ピアノの演奏会と一緒だ。ピアノは音か顔かで選んだ気がする。きっとこっちの方が音がいいんだと思い込もう。
第I部ではポピュラー曲の演奏だった。1年生も含めて全員で演奏するらしい。「にんげんっていいな」は懐かしかった。「まんが日本昔ばなし」のエンディングだった。マンドリンで演奏する「見上げてごらん夜の星を」はしっとりとした感じだった。結構な人数で演奏しているので、音に迫力もある。ゆずの「栄光の架け橋」も聞き覚えがある。創価芸人は大嫌いなので、「きよしのズンドコ節」は選曲としてNGだった。でも、田舎で演奏する曲としてはいいんだろう。どうせやるなら「きよし!」と叫んで欲しかったけど。個人的には「ハウルの動く城」の「人生のメリーゴーランド」という曲が一番よかった。マンドリンのどこか寂しげな音色が、原曲と映画に合っているように思う。反対に、「篤姫のテーマ」は、別にマンドリンでやらなくてもという気がした。客層を意識してのことだろう。「マンドリンといえば『丘を越えて』という一つの歴史」なんてのは全く知らなかった。ジェネレーションギャップだろうか。「丘を越えて」は時代を越えたようだが、マンドリンは時代を越えられなかった気がする。ラストの「サザエさん一家」では、マンドリンを打楽器のように叩く演奏法?みたいなのがあって面白かった。会場もウケていた。
知っている曲が多くていい選曲だとは思うけど、せっかくのポピュラー曲なんだから、もっと楽しくやればいいのにと思った。普段の演奏会とちがってTシャツにジーンズというラフな服装だし、表情くらいもう少し何とかならないものだろうか。クラシックの硬さを感じた。手拍子くらい観客に求めてもいいような気がする。
各パートリーダーによる楽器紹介の後、そのメンバーで「未来予想図II」の演奏があった。大人数での演奏ばかりだったので、こういうスタイルの演奏は新鮮だったし、ジャズのライブのような感じでよかった。
アンケート用紙に裏面がないのに気付いて後のおばちゃんに聞いたら、自分のだけでなくおばちゃんのにもないことが分かった。休憩のときに、受付でたずねると、どの用紙にも裏がない。他のおばちゃんも気付いて指摘してた。「裏面へ続く…」と書かれると、何があるか気になるのは誰でも一緒のようだ。
休憩の後の第II部では、1年生が抜けての本気の演奏のようだった。「ミヌエット」はマンドリンの曲のためか、第I部よりもずっと安心して聴けた。音が心地よく響くし、やっぱりポピュラー曲をやるのは難しいのだろうか。編曲の問題なんだろうか。最後の「BLACK OUT」は不愉快な音から始まって、「ミヌエット」の落ち着きが全く消し飛んだ。でも、変化がめまぐるしく、演奏の仕方も様々で面白い。マンドリンでもここまでやれるというような気迫のこもった演奏だった。
アンケートに「アンコール曲の感想」と書いてあるので、アンコールしなくてもアンコールが用意されているところが面白い。おばちゃんたちもサービスがいいので、ちゃんと「アンコール」と叫んでた。アンコールのルールを知らないけど、今回は、クラシックの演奏会でよくあるような、ひたすら拍手を続ける形式ではなかった。結局、「BLACK OUT」のインパクトが強かったので、アンコール曲の印象は薄い。
座席を間違ったので友だちの写真も撮れず、アンケートを提出してから友だちを探そうと歩いて行くと、ちょうど友だちがアンケートを集める係をしていた。差し入れを渡して少し話してから、札幌へ向けて帰る。ここからがまた長い道のりだ。
日高富川ICまでは辛抱して走るしかない。高速道路に乗るつもりはなかったので、沼ノ端で降りて下道で札幌まで。帰りもなんとか3時間ちょっとで済んだけど、大雪山系あたりまで行くのと距離も時間もあまり変わらない。どっちも日帰りで行くところじゃないと思った。
どうせ様似へ行くならアポイ岳へまた登ってしまおうということで、この夏2度目のアポイ岳。
先月は札幌を6時に出発して、高速道路を使えば3時間で登山口まで行けるのは分かっていた。ナビもあるので、登山口を見失うこともないだろう。実際、9すぎには登山口に到着した。
ところが、時計を忘れた。他には忘れ物がないようなのでよかったけど、ペースが分からなくなりそう。まあ、適当に登ろう。
雨こそふっていないものの、いつ雨が降り始めてもおかしくないような天気だった。5合目まではガンガン登る。案の定、展望はなかった。いつもの日和で、ここで引き返そうかとも思ったけど、雲の中の山頂目指して急登を開始した。
5合目までは花も咲いていないので一気に登ったけれど、さすがにここからは登山道脇の花に時おり目を奪われてカメラを構える。
先月来たときには咲いていなかったサマニオトギリも、この日はちゃんと咲いていた。同じ山に季節を少しズラして来ると、咲いている花が変わっていて面白い。2年前に十勝連峰で1週間ずらして来ただけでも、開花が進むのが分かって面白かった。
途中、先行していた若い男性二人のパーティーを追い越してから撮影をしていたら、「ヒダカソウ見つかりましたか?」とたずねられた。もちろん見つかるはずがない。山頂で彼らに話を聞くと、浦河から来ていて、アポイ岳に登るのは小学校の頃に登って以来だとか。当時はヒダカソウが咲いていたのだろう。
アポイ岳はやっぱり十勝や大雪、ニセコともちがって、それまで見たことのない花を見つけられるので楽しい。
散りかけているようなダイモンジソウは、花弁が丸いアポイ岳に特有のもの。
エゾシオガマを見たのは、去年の尻別岳以来かな。
軽く水分を摂るくらいの短い休憩をのぞけばずっと歩き通しだったので、山頂まで1:30で着いてしまった。トレーニングとしてはまずまずだった。遅れて登って来た浦河の二人と話したときに、浦河の味処 三之助という店を紹介してもらった。先月行った海鮮和食処 金水よりも安くて美味いとか。
山頂では15分休んで、すぐに下山を開始した。歩いていると生き物の気配がする。バサバサっと現れたのはホシガラスだった。近くの岩場からも鳴き声が聞こえて、岩の上で何かが動くのが見えた。ナキウサギだろうか。
下山もサクサク歩いたら、登山口には12:30には戻って来れた。たった3時間の山行。最近、行動時間が短いけれど、これからいきなり8時間とか9時間とか、まして縦走とかできるのだろうかと少し心配。
どうせだから、またアポイ岳ビジターセンターをのぞいて行こうとすると、玄関に演奏会のポスターが張ってあった。
アポイ岳から吉田山までピストンしようかと初めは考えていたけど、ここで調べると往復1:30はかかるらしい。天気がよければ稜線歩きも楽しいだろうけど、こんな日は仕方ない。
早いペースでの登山で汗を結構かいたので、アポイ山荘へ風呂に入りに行った。アポイ山荘が温泉じゃないのが悔やまれる。アポイ山荘の玄関でも商大プレの文字を見かけた。そういう日のようだ。工事はもう終わっていたので、露天風呂も先月のような圧迫感がなかった。
休憩室で行動食のあまりを昼食代わりに食べた。
謝肉祭でご馳走になったソフトクッキーが美味かったので、自分で作ってみた。
スノーボールを作ったときに買って、冷蔵庫にそのまま入っていた無塩バターは、賞味期限が切れて、表面は分離して来ていた。まあ、混ぜれば問題ないだろう。
今回は材料を全部はかりで量ったし薄力粉もふるった。ただ、チョコチップで困った。板チョコを小さく砕いたらチョコチップになると思い込んでいたけれど、お菓子用の耐熱チョコチップなるものがあるらしい。でも、板チョコでもいいと書いてあるのもある。とにかく、ないものは仕方がない。板チョコを適当に砕いた。
H多さんが話していた通り、生地はネチョっと手にくっ付いて丸めづらい。スノーボールの時にパサパサで丸まりづらかったのとは全く逆。また、強引に丸めて広げてチョコチップ入れて体裁を整える。手は小ちゃいはずなのに、できたクッキーの生地はでかい。角皿の上に全部並べて、いよいよオーブンへ投入。
予熱して12分焼くと、角皿の前後で焼き色にむらがある。しかも、クッキー同士がくっ付いてしまった。生地の膨らみをもう少し考えておけばよかった。全部いっぺんに焼いたのが間違いかな。幸い、ソフトクッキーなので、くっ付いたところは簡単に切り離せた。
冷めてから一つ食べてみた。すると、ソフトクッキーなのにパサパサしていてしっとりしていない。不安になってオーブンの説明書を見てみた。クッキーを焼く時は、丸皿を使うか、角皿なら下段を使うと書いてある。何も考えずに上段を使っていた。そうか!ロールケーキを焼きすぎたのも、きっと上段で焼いたのが失敗だったのだろう。
そんなパサパサでしっとりしていないソフトクッキーだったけど、2日後に食べてみると、すっかりソフトクッキーになって美味しくなっていた。どうやらソフトクッキーは2日ほど寝かせるのがいいようだ。いや、きっと湿気っただけなんだけど、湿度の高い季節には、逆にソフトクッキーが最適なのかもしれない。
今朝のNHKニュースで、就職活動をしている大学生の多くが、いまだに内々定をもらっていないという報道があった。驚くことに、今では1年生から就職活動を始める学生もいるらしい。大学へは就職するために行く時代になったようだ。
とはいえ、こんなに就職難がひどいのは、企業が雇用という社会的責任を果たしていないからだ。企業が経済状況に合わせて都合よく採用を増減することで、就職活動をする大学生は振り回されてしまう。バブルのときや去年までの好景気のときには、気前よく採用を増やし、いざ、リーマンショックで世界同時不況になれば、大学生のことなんて何も考えずに採用を減らし、それどころか、「派遣切り」や正社員へは早期退職への圧力を加える。企業が好きなようにできるのが今の日本社会だ。
そんな企業に社会的責任をしっかりと果たさせるためには、企業を野放しにせず、法的にしっかりと縛る必要がある。経団連は献金で政治を操り、企業に都合のいい社会制度を整えて来た。そんな企業が今、大学生にあっさりと不合格通知を送っている。社会的責任を果たさない企業に不合格通知を送られた大学生は、今回の選挙で1票を投じて復讐すべきだ。
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北竜町から帰って来て、さすがにくたびれたので、写真を撮り込みながらくつろいでいた。すると、「あー!」っとママンが台所で叫んだ。Born ti Caftaのライブを忘れていた。時刻は17:30。予約したのは18:30なので、まだ間に合う。渋滞に捕まったり、どこかへ寄って来ていたら、きっと間に合わなかったことだろう。ラッキーだった。
3月に行ったBorn ti Caftaの札幌初ライブ以来で2回目。前回はYさんも一緒だったけど、墓参りで今回は来れなかった。会場のがじゅまる食堂へ入ると、いつもの服装でバクさん?が座っていた。
Born ti Caftaは、それまで聴いたような正統派?の島唄ではなく、ずっとポップで親しみやすい音楽だった。島唄とちがって歌詞も聴いて分かるのがいい。普段、島唄を教えているYさんもこっちの方が好きだと言っていた。
MCと言えばいいのか、沖縄の人のトークはなぜかみんな同じ雰囲気で面白い。自己紹介を兼ねて、名前の由来なんかを話してくれた。前回、「赤瓦の上の三線弾き」というCDを買って何度か聴いていたので、演奏した曲は結構耳に残っていた。ライブを聴いているという実感が湧く。
男女に分かれて手拍子に合わせての演奏。この時間、店内は石垣島になっていた。アンコールもあって盛り上がった。帰り際に話すと、次回、12/3のライブでは新曲を作って来ると言っていたので期待しよう。
善性寺でローズガーデンというのが近くにあると聞いたので行ってみた。バラはもう終わりかけという話だったけれど、せっかくなのでついでに寄ってみる。
さすがにお盆のせいか、一応、観光客は来ていた。聞いていた通り、バラはほとんど終わりかけていたけれど、バラによってはちょうどよく咲いていた。時期が早ければ、バラ園はそれなりにきれいなのだろう。
でも、ローズガーデンで観光客は集まるのだろうか。今年はゆにガーデンなんてのにも行ってみたけど、わざわざ行きたいとは思わなかった。好みの問題で、好きな人は案外いるのかもしれないけど。
小腹が空いたので、ローズガーデンを出てどこかで何か食べようと思ったけど、適当な場所がない。道の駅にも大したものがなかった。仕方ないので、高速道路に乗ってしまい、おやつを食べながら札幌まで帰った。
高速道路なら帰りの渋滞の心配はないだろうと思っていたけれど、札幌出口の手前1 kmが渋滞しているらしい。割引のせいなのか、お盆だからか、北海道の高速道路にも渋滞が生じるようになったみたいだ。江別東ICまで来ると、渋滞を通過するのに10分かかるという案内が出ていた。迷いに迷って、結局、江別西ICで下道へ降りた。いっそ、どこかに寄って食事して、渋滞をやり過ごすつもりだった。
ところが、ナビが優秀なのか、しっかりと国道をはずして誘導してくれるので、自宅までスムーズに帰ることができた。さすがはナビ。こんな時はとても便利だ。
温泉の後で、秩父別の善性寺へ行った。丸木美術館があるからだった。ママンは道新の記事を読んだらしく、秩父別は北竜から近いので見に行った。
秩父別にもう一つの「原爆の図」 画家の故・丸木俊さん実家「善性寺」に展示(08/14 15:39 北海道新聞)【秩父別】「原爆の図」などで知られる画家、故・丸木俊さんの実家、空知管内秩父別町の善性(ぜんしょう)寺に「1992・原爆の図」という屏風(びょうぶ)画がある。俊さんが、夫の故・位里さんとともに、原爆投下直後の広島を描いた絵だ。2000年1月に俊さんが亡くなってから10度目の終戦記念日を迎えるこの夏も、同寺住職で、俊さんのおい赤松良海さん(60)は、屏風画を見に訪れる人々に平和の大切さを説き続ける。
広く知られる「原爆の図」は、原爆投下直後に位里さんの故郷でもある広島を夫妻が訪れ、目撃した惨状を、1950年から32年間かけて描いた全15部の連作。埼玉県東松山市の「丸木美術館」で公開されている。
「1992-」は縦1・8メートル、横3・6メートル。92年に善性寺のために描かれた、もう一つの「原爆の図」だ。黒焦げの髪。焼けただれた皮膚。ぼうぜんと向き合う裸の姉妹。中央で目を大きく見開く少年には、この凄惨(せいさん)な状況を忘れないよう、しっかり目に焼き付けなさいという思いが込められているという。
屏風絵を見学するため、道内外から訪れる人がいる。その度に赤松住職は、必ずこの少年の説明をする。「ささやかですが、こうして俊さんと位里さんの反戦の願いを伝えることが、私の務めだと思うんです」
屏風画は、同寺内の丸木美術室に展示されており、入室料は400円(高校生以上)。団体の場合は予約が必要。問い合わせは善性寺(電)0164・33・2106へ。
丸木一家の絵は、2年前に旭川美術館で見たことがある。どちらかというと、丸木スマさんの絵の印象の方が強かったけれど、善性寺の展示の多くは丸木俊さんの作品だった。善性寺の美術館には学芸員がいるわけではなく、家族の方が解説をしてくれた。原爆の図に30年以上を費やして暗い絵ばかりを描いていたので、絵の具を使うのが楽しいと俊さんが言うほどに、原爆の図の完成後の作品は鮮やかで明るかった。
スマさんの作品も3点だけ展示してある。何とも独特な作品。思うままに描いたものだという。もう少し長く生きていたなら、もっとたくさんの作品を残したことだろうと位里さんが語っていたそうだ。最近は、絵手紙ブームでスマさんの作品が人気だとか。
最後に墨の作品を観た。モノクロの中にふきのとうが鮮やかに浮き上がって見えて美しい。俊さんは子どもの頃しか北海道にいなかったらしいが、北海道を愛していたそうだ。いくつかの作品には北海道の情景が描き込まれていて、そうした思いが伝わって来る。
11月はじめまで展示しているらしいけど、連絡をしてから行った方がいいそうだ。近頃は団体で札幌から秩父別の温泉に泊まって、美術館へ訪れる人たちもいるらしい。
今年も北竜町までひまわりを見に行って来ることにした。お盆で道路が混んでいるのを心配したけれど、朝7時すぎで出発しても、高速道路を通ればなんてことはなかった。秩父別ICで高速道路を下りて、ナビに従って走るとすぐにひまわりの里へ着いた。
まずは、駐車場から遊覧車ひまわり号の乗り場まで向った。歩くとそれなりの距離なので、グランマには歩いて回るのは無理。せっかくだし一緒に乗ることにした。乗り場にはなぜか子猫がいて、子どもがじゃれていた。
ひまわり号が帰って来たので、みんな乗り込む。まだ9時すぎと時間が早いせいか、乗客は10人もいない。
ぐるっと一周するので、当然、太陽の方を向くとひまわりは全部裏側になっている。ちょっと寂しい。
ひまわり号に乗っているうちに、雲がひろがってきて日が陰ってしまった。写真を撮る気もなくなったので、ママンに付き合って1万円ゲットを目指してひまわり迷路に挑戦した。三つの数字を見つけるクイズとスタンプラリーがあって、迷路なのになぜか地図が配られる。手分けして探してもよかったけれど、方向音痴で地図が読めないママンはくっ付いて離れる気がないようだ。仕方ない。効率の悪い探し方で、結局、全部見つけられないままコースアウト。クイズの最後の数字は、ママンがちゃっかりカンニングしたので、一応、投函はした。
かかしコンテスト?みたいなのが開催されていた。
迷路を歩いたらさすがに喉が渇いたので、ひまわりソフトクリームを食べた。ひまわりのタネが入っているらしく、何となく香ばしくて舌触りも面白い。色だけ黄色いようなソフトクリームよりずっと美味い。
いつものようにパークゴルフにも付き合う。それなりに面白いとは思うけれど、4コース回ると飽きる。腹も減る。まあ、これだけやってりゃそれなりには上手くなるだろうなぁ。パークゴルフ歴20年には敵わないけど。整備はしっかりしていていいコースだと思う。
4コース回ってくたびれたので、サンフラワーパーク北竜温泉へ行った。予想はしていたけど、浴室はすごい塩素の匂い。露天風呂はまだマシ。お湯の温度が熱すぎないのでいい。
北竜町で、ひまわり、パークゴルフ、温泉の3点セットを完了。
白老を出発して、苫小牧へ向う。苫小牧といえば、海がある。もちろん白老にもあるけど、とりあえず、苫小牧のふれあい海岸へ。
夕焼けを眺めながら砂浜を歩いた。虫とカモメがたくさん飛んでいる。ここから夕陽を眺めると、ちょうど日が沈む方向は樽前山の方角だった。苫小牧って結構夕陽がきれいなんじゃないだろうか。
釣り客の横で、しばらく陽が沈むのを眺めていた。樽前山のシルエットが浮かび上がるかと期待していたけれど、結局、雲の中に入ってしまった。残念。樽前山には近づくこともできなかったなぁ。
陽も沈むのを待って札幌へ向けて出発した。
樽前山からすっかり降りて来ると、苫小牧市内へ入った。下界は結構暑い。山に登り損ねて、側溝にハマって気が滅入り、もうのんびりしたい気分だった。とはいえ、このまま帰ってはもったいないので、白老へ行って、また温泉に入ってゆっくりくつろごうと思った。
白老といえば、しらおいポロトコタンがあるのを思い出した。ポロト温泉には行ったことがあって、前から気になっていた施設だ。
ガラガラの有料駐車場に車を停めた。アイヌ民芸店が集まる建物を通り過ぎて、奥のポロトコタンへ向った。入場料は安くないけど仕方ない。JAF割があるみたいだったけど。
館内へ入ると、ちょうど建物の中で話と踊りが始まるところだったので急いで向った。でっかいチセの中にはステージがあり、客席には30人くらいが座って話を聞いていた。アイヌの衣装を着たおじさんが、綾小路きみまろ風にトークを繰り広げていた。人によってはちょっとウザいなぁと思いそうだけど、やっぱりおばちゃんたちにはウケていた。
道外からの観光客も多いので、登別や芦別といった、ベツやペツが含まれる地名についての解説があった。道産子なら誰でも知っていると思うけれど、ベツやペツというのはアイヌ語で川という意味。登別は濁った川というアイヌ語の当て字らしい。旭川、深川、滝川なんかの石狩川流域の街の名前は、ベツの意味まで漢字にしてしまった地名ということは、たぶん有名なんじゃないだろうか。
チセの中には、立派なシャケが何本も吊るされている。「どこから来たと思うか?」という質問に、会場からは、海、川、養殖場という答えが返ったけれど、正解は市場だった。養殖場は別として、海や川というのは考えそうなものだけど、市場というのには歴史があるそうだ。つまり、元来狩猟民族だったアイヌは、今では海や川でシャケを獲ると捕まったしまう。日本政府が勝手にアイヌからシャケを獲る権利を奪ってしまったからだ。吊るされていたのはシャケの薫製で、アイヌは薫製の作り方は代々伝えているけれど、シャケを獲る技術は伝えられなかったということだ。先住民としての権利をちゃんと保障するべきだろう。ちなみに、薫製は美味かった。
アイヌの碑 (朝日文庫)
著者:萱野 茂 |
話の後は、アイヌの楽器の演奏と歌と踊りだった。ムックリは二風谷でも何度か聴いていたけど、樺太アイヌのトンコリを生で聴くのは初めてだった。ムックリの演奏は、アンビエント系テクノのようで、斬新な感じだった。実はムックリはかなりカッコいい楽器なんじゃないだろうか。ムックリに代表されるように、北海道のアイヌには音階がなかったと思うけれど、樺太アイヌにトンコリのような弦楽器が伝わっているのは、大陸からの強い影響だろうか。素朴な音色だった。
歌は意外とポップな感じの曲だった。アイヌの歌ってこんな感じだっただろうか。踊りは二風谷で見た踊りに似ている。輪になって踊るのが基本なのかな。そういえば、二風谷のチプサンケは今週だなぁ。毎年20日が本番だったはずだけど、観光客を呼ぶために日曜日の開催に変更したのかな。
ポロトコタンには、アイヌ民族博物館という立派な展示施設もあるので、そっちもちゃんと見物する。アイヌの生活について一通り詳しく解説してあるので勉強になる。展示を見ていて思ったのは、かつてアイヌは倭人とそこそこにいい関係で生活していたのではないかということ。アイヌが使う輪島塗などの漆器類は物々交換で得たものらしい。白老のアイヌが海で漁をするときに使っていたという船も、日本の船のように見える。明治政府に奴隷としてこき使われるようになるまでは、シャクシャインの戦いもあったけれど、ずっとマシだったんじゃないだろうか。日本人の西洋かぶれが、西洋人と同じように先住民を支配する傲慢な考え方になってしまったのだろう。
もう一つ、やっぱり狩猟民族が貨幣経済と離れて生活するのが、環境との調和という観点では最も適している気がした。農耕で貨幣経済となると最悪だ。貨幣を得るために際限なく生産して、余れば捨てるという大量生産、大量消費、大量廃棄の現代社会へ通じる道だと思う。おそらく、アイヌがアイヌのままでいられたなら、日本が沈没しても道連れにされる心配はなかったはずだ。
マルクスは生きている (平凡社新書 461)
著者:不破 哲三 |
博物館を見学し終わったら、100円の牛乳を飲んでからポロト温泉へ移動した。この温泉はモール泉のように黒っぽい。お湯が熱くて年寄り向き。露天風呂もないのでゆっくりできずにすぐに休憩室へ行った。汗が止まらない。山へ登らなかった分、温泉で汗をかいている気分だ。
天気がイマイチでニトヌプリへ登れなかったのが残念なので、とりあえず、支笏湖へ行って、湖畔で本でも読んでいようと思った。ニセコから真狩、喜茂別を抜けて、支笏湖へ行く。そこで、支笏湖の方から樽前山へ行けるのを思い出した。一度も登ったことがないし、準備してないのはよくないけど、せっかくだから登ってみようと登山口を目指して車を走らせた。
細い舗装路を走って5合目ゲートまでたどり着く。ちょっと様子を見ようと思って、道路脇に車を停めようとすると、「ガタンっ、ガタンっ」という音が響いて車が傾いた。なんと、側溝にハマってしまった!
雑草で隠れていて気付かなかった。
ゲートの係員のじいさんに話してみたけど、やっぱり全然頼りにならない。慌てて車のダッシュボードからJAFの何かを探すけれど、それらしいものは何もない。幸い携帯電話の電波は来ていたので、ママンにJAFの連絡先と会員番号を調べてもらう。でも、メールを送ってもらう予定が、気付いたら電波がなくなっていて、JAFの情報が届かない。しばらく待って電波がよくなって、ようやくJAFの電話番号を入手。
JAFに状況を話すと、料金についての了解を求められた。場所を説明すると、向こうもさすがに驚いていたようで、少なくとも1時間は到着に時間がかかると言われた。仕方がない。電波が比較的いいところで、行動食を食べて、読書しながら待った。
だいたい1時間くらいすぎたころ、ランクルがやって来た。ウインチで引っ張る角度の都合で、バンパーが凹むらしい。仕方がない。道具の準備が終わったら、指示に従って車に乗り込み、ニュートラルで待機。引っ張っても上がらないので、ハンドルを切って少しアクセルを踏む。ホイールが擦れる嫌な音がしたものの、何とか前輪は無事に抜け出す。後輪はあっさり上がった。
登山口なのに電波が通じたのが幸いした。できればお世話になりたくないのは警察と同じだけど、JAFが神様に思える。本当に助かった。幸い、車の足回りは問題なし。無事に走行できた。
ところで、初めはレッカー車が来るのかと思っていたので、普通のランクルがやって来て驚いた。結構、これが普通なのだろうか。それに、JAF自体が仕事をしているわけではなくて、地区ごとの担当が請け負っているようだ。
結局、車の調子を見ながらゆっくりと樽前山から離れて苫小牧へ向けて降りて行った。
しばらく山へ行っていなかったので、終戦の日なのでどうしようか迷った末、結局出かけることにした。せっかくなので、2年ぶりにニトヌプリへ巡礼の旅へ出る。登山ルートから外れていてなかなか行けない鏡沼が、以前からずっと気になっていた。そこで今回は、折りたたみ自転車で五色温泉から鏡沼登山口に下り、そこから鏡沼へ行って、アンヌプリを登り、ニトヌプリへ縦走するコースを歩くことに決めた。
ところが、出発の時から天気はよくなくて、やっぱりニセコの山々は雲の中。倶知安から五色温泉へ道路を登って行くと、上の方が風が強そうだ。速攻ひよって鏡沼ピストンに変更。お盆だけあって登山客は少ないのか、登山口付近の少ない駐車スペースには、車は一台も停まっていなかった。
前日の雨で濡れた登山道をサクサク歩く。
30分も歩けば鏡沼に到着。トレッキングにもならないか。池の周りの開けた場所には、湿地の花が少し咲いていた。
肝心の鏡沼は、風もあって水面への映りも悪い。紅葉の季節ならもう少しきれいだろうか。
少し休んでから、来た道をまた戻った。1時間程度の軽い散歩だった。
8月13日が祖母の命日なので、墓参りへ行って来た。途中の道路で、平岸霊園行きの混雑は避けたものの、里塚霊園行きの混雑に巻き込まれて、やっぱりそれなりに時間がかかった。
基本的に父親とは馬が合わないので、こんな時くらいしか会うことがない。行ってみると、痛風の発作が続いているらしく、もう3年は症状が続いているとか。見栄っ張りの祖父は、補聴器を付けているのを見られたくないとかで、パークゴルフへも行かなくなり、近くの麻雀サークルもなくなってしまったので、痛風の父も連れ出すことができずに、閉じこもりがちだとか。う〜ん、どこかで聞いた話だ。
結局、年をとると家に閉じこもるようになって、結果的に老化が加速することが多い。グランマからの教訓があるので、やるなら今だ。
それにしても、祖父はまだそれなりに元気とはいえ、これからしばらく元気で生き続けたとしたら、老老介護の現実が迫って来るだろう。そういう世代なのだから、どこでもそうなのだろうとは思う。けれでも、「介護の社会化」はどうなった?介護保険は高齢者医療費の抑制に利用されただけにしか思えない。年寄りで自民党に入れる人は相当のMだな。今日は公示日だ。
コムケ湖で食べたシフォンケーキが忘れられない!みんなにプレゼントしてもらった誕生ケーキは、しっとりしていて美味しかった。あの食感を再現しようと、とりあえずシフォンケーキを作ってみた。
シフォンケーキの型は買ってあったので、夕食の準備の合間にスーパーまでチャリを飛ばしてベーキングパウダーを買いに行った。夕食を食べ終わった後、レシピに従って材料をまぜまぜ。クッキーの時とちがって、今回は道具もあるのでちゃんと薄力粉もふるった。
ところが、卵黄生地とメレンゲを混ぜる一般的な方法をとらずに、いきなり全部混ぜてしまった。まあ、大丈夫だろう。ゆっくり混ぜてから型に入れて、予熱していたオーブンに納める。これでいいかと思って片付けていたら、失敗に気付く。何のためにわざわざ買いに行ったか分からない。
今さらなので、そのまま焼き上がるのを待った。いい香りがして焼き上がったので冷ます。一応、ちゃんと膨らんでそう。冷めてから竹串で型から外すと、思ったより上手くいっているみたいで、ふわふわだった。期待も膨らむ。
面倒なのでホイップは作らなかった。そのまま食べたけど、食感がたまらない。求めていた食感だ。もしかしたら、ベーキングパウダーを入れないのがいいのだろうか。シフォンケーキは案外美味く作れそうなので、今度はロールケーキでリベンジだ。
バカ貝のむき身は、いろいろ調べた結果、串焼きで食べることにした。素材の味が楽しめそうだったので。
豚丼のタレを小さめのフライパンで少しトロッとするまで煮詰めてから、刷毛で塗って魚焼機で焼く。七輪とかないので炭火はあきらめる。
直売所のおばちゃんが言っていた通り、ホッキ貝のようで美味かった。
部屋を片付けていたら、先月行った雨竜沼湿原のパンフレットが出て来た。中には、雨竜町観光フォトコンテストの応募要項もあったので、ちらっと目を通してみた。すると、雨竜町観光協会のサイトにある応募要項と記述が若干異なることに気付いた。印刷版の応募要項には、
入賞作品はコンテストの主旨に基づき、主催者が雨竜町の観光PRに使用させていただきます。
と書いてあるが、ウェブ上には
入賞作品の使用・版権は主催者に帰属し、雨竜町の観光PRに使用させていただきます。
と書いてある。文字通りにとるならば、印刷版の記述のコンテストの主旨
というのは、入賞作品の使用・版権は主催者に帰属
という意味だととれる。版権というのは昔の言葉で、今は著作権という言葉が使われている。つまり、ウェブ上の応募要項には、応募者は入賞に際して著作権を放棄することを求められているということだ。このことを知ったら、プロ・アマ問わず普通のカメラマンなら誰もが応募なんてしないと思う。
しかも問題なのは、2種類の応募要項が存在するということだ。印刷版しか読まないで応募した人は、自分の作品が入賞したときに著作権を失うことを知らないままになってしまうだろう。おそらく、ウェブ上の応募要項の方が新しいと考えられるからだ。こんなことをしていいのだろうか。
日本写真著作権協会では、フォトコンテスト主催者へ向けて、応募要項に関するガイドラインというものが公開されている。アマチュア写真家の方々やコンテストの主催者から「応募した作品や入賞作品の著作権は誰に帰属するのですか」といった問い合わせが多数寄せられる
かららしい。
2種類の応募要項があるのは応募者を混乱させるので、新しいものに統一すべきだろう。それに、そもそもフォトコンテストで応募者から著作権を奪うのは間違っていると思う。著作権はやはり撮影者にあるべきだ。著作権は創作したものの権利なんじゃないだろうか。当たり前のことのように思えるけれど、本当に雨竜町観光協会は著作権まで取り上げるつもりなのだろうか。自分なら絶対に嫌だ。
約2週間後には衆議院総選挙を控えて、自公政権のバラマキが続いているうちに、我家も駆け込みで新車購入。買ったのはキュービー。キューブじゃなくてキュービー。シルバーの車。残念ながら、セール特価ではあったけれど、エコカー減税の対象にはならなかった。動力は人力なので、ハイブリッドよりはるかにエコなのに。
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昨日、さわやかショップへ行って試乗して来た。店員の説明を聞きながらだったけれど、店員から「前を見てください」と一言ありグランマは苦笑い。先日、自転車にぶつかりそうになって転んだのも、おそらく前を見ないで歩いているからだろう。
シルバーカーで高齢者が歩けるようになるし、ポータブルの椅子としてもシルバーカーは使える。そこで考えたのは、シルバーカーを使った高齢者のフルマラソンだ。高齢者が健康を競って切磋琢磨するのはいいんじゃないだろうか。はじめはママンも面白がって賛成していたけれど、後からしっかりと却下された。シルバーカーを使うような高齢者は自分の体力の限界も知らないし、限界が分かっていてもその都度自分の状態を把握することはできないので、競争にばかり集中して死人が出るだろうと言われた。確かに、フルマラソンで行き倒れ続出は問題だ。
さわやかショップにはいろいろと面白そうな道具が売っている。力が弱くてもペットボトルの蓋を開けれる道具とか。でも、問題はそういう道具を自分で使えるかということ。サルに栓抜きを渡しても、きっとビールは飲めないだろう。
シルバーカーを車に積んで、玄関で靴を脱ぎ履きするための椅子を買いに行った。面倒なのでシルバーカーを出さずに歩かせると、前をちゃんと見ないものの、ほとんど問題なく歩ける。杖がないと歩くのが大変だというのは、どうやら演技だったようだ。むしろ、杖の使い方が悪くて歩き方が危なかったように思う。やっぱり、道具が使えないのは致命的だ。人間は道具を使うことで進化したと言われる。これも一種の先祖返りなのだろうか。
買い物をしてから16時すぎに家に帰ると、訪問看護師の名刺にメッセージが添えられて置いてあった。やってしまった。すっかり忘れていた。グランマにそのことを話すと、「13時半に来るはずだったけど、来ないからいいんだと思っていた」そうだ。名刺には、15:30の約束だったと書かれている。こっちが把握するよりも早く老化が進むので、翻弄させられてしまう。
電話で今日、改めて来てもらうように頼んで、午前中はシルバーカーで散歩へ連れて行ってもらった。しばらく散歩してもらって、帰って来たところを激写しようとカメラを構えたら、歩道の縁石で躓きそうになるグランマが見えた。
看護師に話を聞くと、運転に気を取られて前を見ないらしい。しばらくは一人ではなく、誰かに散歩に付き添ってもらった方がいいと言われた。まあ、確かにそうだ。車だっていきなり公道に出ては運転しない。せめて、仮免ぐらい取ってもらおう。
江差の直売所で買って来たバカ貝のむき身を作ってみた。作ったといっても、貝殻から身を外しただけだけど。要領はホタテと一緒。まだ生きていたので、割り箸をつっかえ棒にして、ナイフで初めに貝柱から剥がす。バカ貝のヤツに気付かれずに手際よく剥がす自信があるなら、つっかえ棒は要らない。専用のむき身包丁がないので、いつもステーキとかを食べるギザギザのあるナイフを使っている。この方が便利だと思う。
さて、どうやって食べようか……
日本を変えよう—北海道から始める第一歩 第2夜で最後に話題に上ったものの一つ、最高裁裁判官国民審査のことを忘れていた。
外務省にいた佐藤優さんの言葉も含めて、副島隆彦さんの文章を一部引用。
竹内行夫(たけうちゆきお)裁判官は、元外務次官です。次官というのが各省の官僚(行政官)のトップです。この人物こそは、小泉政権時代に、駐レバノン大使だった天木直人(あまきなおと)氏が、「アメリカべったりの小泉政権のイラク戦争支持に反対する」と言って、外務省の方針に公然と刃向(はむ)かって外務省を解雇 (免職、めんしょく)になった天木氏のクビを切った責任者です。
それから政治家の鈴木宗男(すずきむねお)氏と佐藤優(さとうまさる)氏を、外務省の北方領土問題のことで罠(わな)に嵌(はめ)て失脚させた時の責任者の一人です。
佐藤優氏は、各所で、「外交官上がりの竹内行夫氏は、司法試験を受けて合格してから最高裁の判事になって欲しい。車の運転免許も無いのに、トラックの運転をされては危ない」と言っている。私も彼から直接聞きました。
国民審査をちゃんと機能させることが大事。
江良から帰って来た夕方、連続シンポジウム「日本を変えよう—北海道から始める第一歩」へ参加しに出かけた。本当は11日の第1夜から聴きたかったけど、江良にいたんじゃどうしようもないので、仕方なく第2夜へ。
はじめ、会場が共済ホールだと思って6階でエレベーターを降りると、人の気配がない。調べたら、実は8階だった。8階へ階段からは封鎖されているので、いったん6階へ戻ってからエレベーターに乗り、8階へ。受付があったけれど、一般の予約がない人は勝手に会場へ行けばいいらしかった。会場の広い部屋の座席のほとんどが埋まっていた。ホールじゃないとはいえ、この時期にこれだけ集まるのはなかなか。
コーディネーターとして山口二郎が、魚住昭、佐藤優、郷原信夫、原田宏二の4名をパネリストに迎えた。シンポジウムの内容は郷原さんと原田さんがいるだけあって、検察と警察など、刑事司法が主なテーマとなった。正直、刑事司法のことはよく知らなかったので、かなり難しかった。予備知識がないとやっぱり大変。
それぞれ著書があるので詳細は置いておいて、シンポジウムで個人的に気になったことをまとめてみる。
とりあえず、山口さんの民主党贔屓には今回もうんざりしながら聴いていた。そんなに民主党政権がいいのか。とても反貧困ネット北海道を立ち上げた一人とは思えないけれど、「政治的」な問題があるのだと理解しておこう。というわけで、そこら辺は聞き流しておく。
佐藤さんの著書は読んでいないけれど、外務省の裏話はいろいろと書いてあるのだろう。外務省の裏金からご祝儀が出るという話も初めて聞いた。そのご祝儀を渡したのがイラクで亡くなった奥克彦さんというのも皮肉な話。佐藤さんの話は確かに面白いけれど、なんか無意識に距離を置いておきたくなる。
佐藤さんが今度の民主党政権で法務大臣にと言っていた郷原さんは、検察の特捜部に対して、最近では西松建設や福祉郵便の事件のような政治的、社会的影響の大きな事件、少し前ではライブドアのように経済的影響の大きな事件や、産婦人科医のように社会的影響の大きな事件については、起訴するかどうかをその影響を考えて判断すべきだと言っていた。殺人事件などの典型的な刑事事件について検察はプロフェッショナルだけど、そういう新しい問題についてはダメだとも言っていた。けれども、検察が社会への影響を「判断」して、起訴するかどうかを決めるというのは、おかしいんじゃないの?大銀行が潰れると経済的影響が大きいから、どんなに公的資金を投入してでも絶対に潰さないというのと構造的に同じような気がする。検察は犯罪の可能性があれば正義のために真実を追究すべきで、そうした社会への影響を検察が判断するというのは間違っていると思った。
原田さんが話していた選挙の話は衝撃的だった。北海道で買収は考えられないけれど、原田さんが以前いた熊本は「一票いくら」の世界だとか。しかも、選挙は下へ行くほど額が上がるとか。北海道の人ははがきが届いたら選挙へ行くけど、熊本の人はお金をもらったら選挙へ行くらしい。原田さんは警察の改革案として、国家公安委員会の公選制もひとつの方策として提案していたけれど、こんな選挙が行われている現状では、公選制なんてやっても意味なさそうだ。
各パネリストに共通していたのは、「検察も官僚も『自分たちが一番頭がいい』」と思っていることだった。結局、日本を動かしているのは「エリート」で、そんな人間が「バカな」国民に奉仕するはずはないわけだ。検察や官僚たちに「クソ」だと思われている国会議員も結局は「エリート」。原田さんや郷原さんが言っていたように、市民がちゃんと監視するしかない。
取り調べの可視化のことは何度も話題に上ったけれど、最終的には否定的な評価で終わったように感じる。検察や警察の捜査にとって圧倒的に不利になる改革をやるはずがない。万一、部分的な可視化が行われたとしたら、かえって危険だ。捜査に都合のいい部分だけ公開される。権力は恐ろしい。一度手に入れると絶対に手放さない。
民主党政権がどうこうという問題じゃない。もちろん、自公政権が終わるのが大前提だけれど、新しい政権でいったいどんな政策が行われるかが問題だ。「政権交代」が実現した時から、民主党政権と国家権力との戦いが始まる。三権分立が日本では形だけであっても、しっかりとやることはやってもらわないと困る。「政権交代」で何も変わらなかったら、考えるだけでも恐ろしい反動がやって来そうだ。ここ1、2年で日本は善くも悪くも変わるだろう。変えようというより、もう変わるしかないんだと思う。とりあえず、どうなってもいいように、南米への片道切符を買えるだけの金だけは用意しておこう。
朝起きると、窓から入って来る風はもう冷たかった。北海道の夏はもう終わりだろうか。
この日も朝食はイカとウニ。食べ納めとばかりにがんばって食べる。何だか一年分のイカとウニをこの4日間で食べた気分だ。とはいえ、出かけるときにアワビをもらったので、また浜の味を楽しめる。
8時過ぎに出発して、原口を過ぎてトンネルの入口に差し掛かったところで、「メガネを忘れた」とグランマが言い出した。仕方ないので引き返す。30分以上のロス。メガネを受け取ったときに、またお土産を持たしてくれた。この勢いだと、忘れ物を取りに戻る度に、お土産が増えていきそう。
帰りは行きとちがう道を通りたかったので、江差を通り過ぎて熊石まで行き、そこから八雲へ抜けた。でも、その国道は結構な山道だった。前にも通ったけど、山道が苦手なドライバーにはきっとしんどい。
八雲からは長万部まで高速道路に乗った。長万部から国道5号線で黒松内まで。道の駅でトイレのついでにせっかくなのでソフトクリームを食べた。
黒松内を再び出発すると、ニセコ、真狩を通って京極へ行った。一心庵でそばを食べるため。夏季限定の納豆そばはなかなか美味しかったけど、エビ天は衣がサクサクしていなくてもっちりしていてちょっと好みじゃなかった。
途中、喜茂別の直売所で野菜を買った後は、中山峠を越えて真っすぐ札幌へ。15時すぎにはなんとか帰宅。今回の道南旅行の走行距離は1,028 kmだった。北海道の1/4しか走っていないはずなのに、やっぱり北海道は広い。
長いようで短かった親戚で集まった数日間。大雨と地震のニュースもあって驚いたけれど、小さな漁村の時間の流れはやっぱりゆっくりだった。まあ、現実には札幌へ戻っても変わらないんだけど、気分の問題かな。
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バーベキューガーデン メーメー
あわび山荘
墓でパークゴルフ
原口
姥神大神宮祭
五稜郭タワー
祭の翌日、従妹たちが函館へ移動する日だったので、送ることも兼ねて、朝、急遽みんなで函館へ出かけることになった。10時に出かけるはずが、いろいろあって結局12時に出発することになってしまった。仕方がないので、それまでは読書で過ごす。
この日も天気が良くて、朝は日の当たらない西側の部屋で、海からそよいで来る涼しい風に吹かれながら、ゆったりと本を読んでいた。前日は慌ただしい一日だったので、こうやって海の側でのんびりしているのもいい。
出発の時間になったので、弁当を持って車に乗り、総勢15人が3台の車を連ねて一路函館目指す。江差経由だったので、また同じ道のり。江差からは山道を走り、函館には2時間以上かかって、五稜郭公園に到着したのは15時だった。
デジカメに電池が入っていないとかで、カメラマンをやることになってしまったので、五稜郭タワーにまた登ることになった。登ったところで、今は桜も咲いていないので、眺めもイマイチ。これが夜なら、少しは夜景できれいなのかな。
夕食の予約時間まで1階で休んでいたときに、山川牧場のミルクシェイクを食べた。これが思いのほか美味かった。
子どもたちが騒いでいたので何かと思ったら、ピンクのモーモータクシーがいるらしかった。1台しかないとかで、せっかくなので撮っておいた。
函館の街を車でウロウロして、ようやく目的の店へたどり着いた。虎龍(フーロン)という中華料理の店で、親戚がいるらしい。食べ物は量が多くて大変だったけど、石焼おこげが美味しかった。
食べ終わったら、ここで従妹たちとはお別れ。ガソリンを入れてから、来た道を江良まで帰る。函館から江良までは、結構車が多かった。でも、江差からは車がすっかり少なくなった。江差から函館まで通勤している人が多いのだろうか。
江差からまだ1時間もあると思うとぞっとしたけど、また黙々と夜の海岸線を走って帰った。伯父より先に家に着いてみると、鍵がかかっていない。おかげで中に入れたけど、田舎は鍵をかけないものだということを実際に体験してみて、感慨深かった。
しばらくして伯父たちが帰って来て、車の中で寝てしまった従姉の子どもを抱えて2階の布団まで連れて行った。この日は飲まないつもりだったけど、結局またビールを飲むことになった。つまみもイカ。でも、1杯だけ飲んで寝た。
原口から帰るとそうめんが茹でて用意されていた。昼からずっと食べ続けていたけれど、夜は祭を見に出かけるので、まるで行動食のごとくそうめんを腹に押し込む。本当は去年と同じように流しそうめんをしたかったらしいけど、時間がないので却下。それでも、結局、出発したのは18:30。祭に間に合うのかと不安だった。
江差の祭は本当かどうか知らないけれど、北海道三大祭の一つで、北海道の祭の中では最古の歴史を持つらしい。そうはいっても、どうせ北海道の祭だから大したことはないだろうと期待はしていなかった。
途中、上ノ国でようかんを買ったり酒を買ったり、いろいろ買い物すると、江差に着いたのは20時になってしまった。車を停めて山車の巡行コースへ行ってみると、山車が来る気配がない。姥神大神宮へ行ってみると、何やら儀式を執り行っていた。
警察のおっちゃんによると、山車は1時間経たないと来ないそうなので、上町まで出店を見に行って来ることになる。きっと子どもたちは1時間も待ってられないだろうということで。出店はさすがに多くはなかったけれど、祭で定番の出店が並んでいた。従姉につまませてもらって、東京カステラとかいう食べ物を初めて食べた。
ブラブラしてから神社へ戻ると、ちょうど21時くらい。もう、山車がやって来ていた。座って待っていると、続々とやって来る。
この後、三つの神輿が納められるのだけど、階段をそれぞれ7回、5回、3回、往復してようやく納められるらしい。さすがに、最初の神輿が終わったところで帰ることにした。それでも22時過ぎ。
真っ暗の道路を黙々と走って、ようやく江良に到着した。とりあえず、ビールで一服。でも、朝からパークゴルフ、海、祭と、一日中動いていて疲れていたので、大した飲まずにまた布団へ。
墓から帰ってすぐ従姉がやって来て、みんなで原口の海まで出かけた。一応持って来た海パンも履いて行った。ところが、従姉たちがぬるいと言う海の水は、結構冷たい。足を入れるとドキッとする。しばらく入っていると慣れて来るけど、ちょっと泳ぐ気にはなれなかった。子どもたちが遊んでるのを眺めていた。
泳ぐのは寒いので、海岸沿いにいくつか咲いている花を撮っていたら、「花なんか撮って都会らしいね」というような声が耳に入った。確かに、ここには掃いて捨てるほど花もうにもあわびもあるけれど、札幌のような都会にはそれほど自然が残ってないのは仕方ない。藻岩山へ登ればうるしがいっぱいあることに驚いたけど、街にこもっていたら分からないことだらけだ。
群生とまではいかないけれど、北海道の海岸線にはエゾカンゾウが結構咲いている。
炭に火がおこったところでバーベキュー開始。生で食べれるものを焼くのは勿体ないように感じるけれど、別物だと思って食べるとやっぱり美味い。日が傾くまでひたすら食べ続けた。最後は子どもたちのすいか割り。ただ、ちゃんとした棒がないのでほとんど割れなかった。それよりも残念だったのは、すいかが不味かったこと。トマトはマシな方だったけど、朝食べたさくらんぼも不味かった。とにかく今年は農作物の実りが悪いようだ。
窓を開け忘れて寝ていたので、目が覚めると寝汗をかいていた。北海道にもようやく夏が訪れた。
もちろん、朝から海産物ごっそりの食事。獲れたてのイカ刺しがどっさり。ネチョっとしたイカはあまり好きではないので、まだ透き通っているコリコリした獲れたてのイカの方が好みだ。味はあまりしないけど。「イカをガバガバ食べる食べ方」を教えてもらった。辛い大根おろしにしょうゆをかけて、そこにイカをどっさり入れてかき混ぜて食べる。こうやってガバガバ食べれば、イカの消費量も増えていいんだという話。
朝食の後で、近くの墓までみんなでお参りに行って来る。手を合わせるだけの簡単な墓参りだ。
その後、墓のすぐ隣のパークゴルフ場で子どもたちと遊ぶ。江良のパークゴルフ場は、地元の人たちの手作りのようだ。コースの芝は雑草を刈り込んだだけなので、ボールが転がる方向は予測がつかない。真っすぐ打っても、狙った方向へ真っすぐ転がらない。さすがに地元の伯父さんと子どもが上手い。コースを知り尽くしている。成績はともかく、蚊に食われたのには参った。
昼食の後は、温泉に入ろうとあわび山荘へ向った。ここへは子どもの頃に何度も来た覚えがある。でも、10年以上は来ていないので、久しぶりに行ってみたくなった。
北桧山からしばらく走って大成まで行くと、左手に看板が見えてくる。左折してから少し進むと温泉の建物が現れる。でも、残念ながら記憶にない。
道南へ来ると入浴料にいつも驚く。何たって安い。札幌近郊では平気で7、800円とるところもざら、1,000円とるところもあるというのに、ここは360円。これもやっぱり所得の地域格差の現れだろうか。
入口から近い方の温泉の方になんとなく最初に入ったら、露天風呂がなかった。仕方ないので一度服を来てから、大浴場の方へ行くと、こっちにはサウナも露天風呂も付いていた。とはいえ、お湯が熱くて、そんなにのんびり入ってもらいられなかった。露天風呂にはアブも多くてうるさかったし。
温泉から江良までは2時間で着けばいいかなぁという距離。ひたすら海岸線を走り続ける。江差を通り過ぎてからも結構長い。それでもなんとか18時前には到着して、先に着いていた親戚一同に迎えられた。
子どもから年寄りまで20人も集まると騒々しい。今回は赤ん坊がいないからまだいいものの、マシンガントークのおばちゃんが2人もいるので疲れた。それに、いつも思うのだけど、浜言葉はさっぱり聞き取れない。話す早さも半端じゃない。正直、英語で話されているのと同じか、それ以上に理解できなかった。それでも何となく雰囲気とかでコミュニケーションを取るのは英語と一緒で面白いと思う。ちなみに、とうもろこしのことは「きみ」と呼ぶ。とうもろこし→とうきび→とうきみ→きみ。普通名詞なので分かりやすい方。
宴はもちろん海産物を食べまくり。うに、あわび、いか。根室から届いた花咲がにも。いつもながら食べきれない。でも、驚いたことに、基本的には残った食べ物は翌日には回さずに捨ててしまうのだそうだ。鮮度が落ちるからということ。浜の食卓恐るべし。寝不足で辛かったので、酒はそこそこで日付が変わる前に寝た。でも、天気がよかったので部屋が暑い。せっかく温泉に入ったというのに、布団に横になっていても汗がにじんで来る。でも、お盆を過ぎればこの暑さもあっという間に去ってしまうんだろう。
9日から12日まで、親戚が集まるということで道南の江良まで行って来た。江良に行くのは2年ぶり。グランマの衰えぶりにみんなは驚くことだろう。
今回は買出しを頼まれているので、まずは喜茂別の直売所でお買い物。とうきび、トマト、にんじん、すいか、さくらんぼなどなど、箱から溢れるほど買いあさって、ゆできびをサービスでもらった。
国道を豊浦まで抜けたら、高速道路に乗って国縫まで走った。ICは二つか三つしかないけれど、距離にすればなかなかなので、ここで乗るかどうかは時間的に大きいと思った。
国縫から国道を日本海側へ向けて走って行くと北桧山へ出る。いつものように北桧山グリーンパークでパークゴルフに付き合った。書いてある通り、とにかくコースが長い。他ではパー5のコースがパー4になっているような気がする。しかも、初めてパー6のコースを見た。なんと距離は190 m。あり得ない長さのコース。とにかく、土地が余って仕方ないのか、そこら一面がパークゴルフ場。あまりに広いので、コースを探してさまよった。
長い距離を歩きまくって腹も減ったので、昼飯を食べることにした。道路沿いにラムの焼肉の看板を見つけて、どうせこれから毎日海産物を食べまくることになるので、焼肉を食べに行くことになった。江良へ向けて国道を走っていると、左折の案内が現れた。指示に従って進むとすぐに、バーベキューガーデン メーメーの建物が見えて来た。
本当に「メーメー」という羊の鳴き声が聞こえて来る駐車場に車を停めた。鳴き声は、「ひつじのふれあい広場」と書かれた小屋の方から聞こえて来る。ラム肉を食べる直前に羊と触れ合うという趣向は、究極の食育だ。訪れた客の多くが、このシチュエーションに後ずさりして帰って行った。
もちろん、食べることが何より大事な自分たち一家は、気にもしないでバーベキューを注文して、外の小屋に用意されたコンロの前に座った。真夏の北海道の涼しい風に乗って、羊たちの悲しい鳴き声が聞こえて来る。シュールだ。炭火焼のラム肉はとても美味かった。生ラムチョップは大きすぎて、生ラムサフォーク定食と少しだけにしておけばよかったと後悔した。腹が減っていると、たとえ羊の前でもラム肉を食べすぎてしまう。
土曜日、朝は薄曇りだった札幌の空も、昼すぎには強い陽射しが照りつけて、夏らしくなって来た。開場の時間にのんびりと出発して、Sapporo City Jazzのファイナルを飾るNorth Jam Sessionの1日目、Cross Generation Festival Ezo Groove 2009へ行って来た。
PMF ピクニックコンサートのときのような入口の渋滞はごめんなので、裏道を通って行った。途中、ロードレーサーを轢きそうになって焦りながらも、なんとか芸術の森へたどり着いた。拍子抜けするほど空いていた。人気がないのだろうか。
おかげで、車は野外ステージから遠くない第4駐車場に停められてよかった。ところが、会場入口からは入場待ちの長蛇の列ができあがっていて、到着したときにちょうど入場が始まった。入口で待っていてもいつになったら入れるのか分からないので、仕方なく列とは反対向きに歩いて、最後尾を目指した。悲しいことに、下の駐車場まで続いていた。
こんなときには、久しぶりの陽射しもあまりうれしくない。じりじりする陽射しを我慢して、開演前ギリギリに会場へ入ることができた。会場で客は二つに別れていた。少しでもステージに近いところに陣取る人たちと、日陰に陣取る人たち。自分はもちろん後者で、しばらく待てば日陰になるだろう場所に陣取った。
会場に着いた時から、スピーカーから大きな音が響いている。開演時間から少し遅れてイベントがスタートした。司会の話によると、このCross Generation Festivalには椅子指定席というのがないらしい。代わりに、その場所が空けられていて、即席フロアになっている。踊りたい人は出て来て踊れということらしい。クラブジャズイベントらしい趣向だ。フロア脇にはドリンクコーナーもある。そもそも、Cross Generationというもの自体この日知ったくらいだけど。
イベントの最初を飾ったのはJABBERLOOPだった。基本的にCDのジャケットも最近はあまり見ないので、どんなメンバーかはほとんど知らなかった。演奏される曲は知っているものがほとんどなので聴きやすい。フロアにいる客が最初は少なかったけれど、だんだん数も増えて演奏も乗って来たようだった。とはいえ、陽射しがもろに当たっていて暑い。こんな真昼の外で直射日光を受けながら踊っているのって、札幌芸術の森だからこそできることだろう。倒れた人もいないようだ。
OOPARTS
アーティスト:JABBERLOOP |
イベントではライブアーティストの間をDJが繋ぐ構成で、DJ KENJIが登場して会場にはひっきりなしに音楽が流れていた。ただ、客も疲れたのか、フロアに残る人はほとんどいない。
しばらくして、次のindigo jum unitが現れた。ステージにドラムスが2組用意されていたので、予想通りだった。演奏はJABBERLOOPとは打って変わって渋い。踊りたければ勝ってに踊れと言わんばかりの勢いだった。トランペットもサックスもないせいか派手さはないけれど、男臭さを感じさせる演奏だと思った。客に媚びない選曲もよかった。確かにJazzだった。
REALism
アーティスト:indigo jam unit |
今度のDJは、DJ FAT MASA。相変わらず、フロアで踊っている人は数えるくらい。DJが何となくかわいそうだ。
次に登場したのは、日本初講演というFoggというオーストラリアのバンドだった。でも、悪いけど好みじゃない。読書のBGMになってもらった。日本で入手するのが難しいというCDも会場で販売されていたらしいけれど、やっぱり興味なし。
Fogg
アーティスト:Fogg |
ちょっとまったりしていると、今度のDJはShohei Matsushita (M-Swift/24-Carat)だった。DJとして登場すると思っていなかったのでびっくり。DJなので、やっぱりフロアに人は少ない。さっきよりは多かった気がするけど、それでもそう多くはなかった。時間が長かったので次第に人も増えてはいたけれど。Jazzよりは普通にHouseをMix?して、最後に自分の曲をかけて終わった。
BLUE IN BLACK
アーティスト:M-Swift presents 24-Carat |
続いてステージに現れたのは、Jazztronikだった。ファンがそれなりに結構いるらしく、フロアにも客が集まる。二人の女性ヴォーカルもいて、フロアは結構賑わっていた。でも、ちょっと同じような曲が多くて少し退屈した。
Jazztronik Early Years Best2003-2006~Pathway Through The Decade
アーティスト:JAZZTRONIK,今井美樹,フローラ・プリム,fucco |
今度のDJもなぜかShohei Matsushita (M-Swift/24-Carat)だった。薄暗くなって来た2回目では、自分好みの選曲でいい感じ。曲名が分からないのが残念。
そして、今度登場したのも北海道初公演というTortured soulだった。好みではないけど、DrumsでVocalだったので驚いた。疲れそう。知ってる人は知ってるのかな。
最後を飾ったのはPE'Zだった。さすがにファンが多い。フロアは満員。ビックリしたのは、ラストの「ハナフブキ」の演奏が始まった途端、ステージのすぐそばにいた人たちが扇子を広げて踊り始めたことだ。ファンなのね。PE'Zの曲をこんなに聴いたのは初めてだったけど、思ったよりよかった。何となく毛嫌いしていたけど、ジャズっぽいのは結構よかった。
起きて寝る -FUNNY DAY & HARD NIGHT- (通常盤)
アーティスト:PE’Z |
アフターパーティーがACID ROOMであったけど、もちろん行かず、そのまま帰宅した。13時から8時間もずっとだったので疲れた。まあ、踊っちゃいないけど。
僻地といっても、道路はちゃんとつながっているし、携帯電話の電波も来てるけど、地デジの電波は来てないのは言うまでもなく、何より、ネット環境がISDNのダイアルアップというのが辛かった。4日間だけだったのに不安だった。明らかに依存症だ。ヤバい。
写真がいっぱいのブログは、読み込みだけで時間がえらいかかってしまった(写真はきれいだったし、文句言ってる訳じゃないよ!)。通話料金のことを考えると、接続時間を少しでも短く済ませたい。こんなことを考えたのは、大学で初めてインターネットを利用するようになった後に、自宅でダイアルアップで接続し始めた頃以来だ。あれから10年経って、札幌では「ブロードバンド」が当たり前になったというものの、地方へ行けば10年前とほとんど変わらない。
インターネットが地域格差を無くすなんてのは嘘っぱちで、「デジタルデバイド」という新たな情報格差を広げただけだった。一部にインターネットを利用した産直とかで成功している人もいるだろうけれど、みんなが使えるはずがない。それでも結局は自己責任。使えないのが悪い。勉強しないのが悪い。頭が悪いから悪い。新自由主義の蔓延で貧富の格差、不平等が広がったのと構造的に同じだと思った。
アナログ放送ですら、共同アンテナを利用しなければ受信できない家には、巨大な画面の50インチほどの薄型テレビが置いてあった。おそらくエコポイントだなんだと口車に乗せられたのだろう。もちろん、そのテレビには、地上アナログ放送は映らない。
9月の5連休の航空チケットを準備しようとしたら、連休初日の19日はすでに完売。初めて空席待ちで予約した。行きの便が取れなかったら、出かけること自体止めようかと思っていたので、とりあえず帰りの便も購入しないで予約だけしておいた。でも、9日までに支払わないと予約はキャンセルされてしまう。空席待ちのキャンセルが出るのが早いか、帰りの便がキャンセルされるのが早いかと、心配しながら待っていた。
ところが、幸い、翌日にはもうキャンセルが出たみたいで、無事チケットを確保することができた。意外と大丈夫なもんだ。ダメだったら、前日に移動してしまって、2年前のようにネットカフェで一晩過ごすことも考えたけれど、今後の予定が分からないので日程は最短に収められてよかった。
行き先の山形は2回目。10年ぶりだ。連休に北海道で紅葉狩りへ行けないのは残念だけど仕方ない。
大家さんの話を聴きに行こうとグランマを誘ったら、意外にも一緒に行くと答えた。会場が近かったからだろうか。。元気な人には近いとはいえ、グランマにとっては長い道のりだ。道具を使う能力が猿並に低下しているので、杖すら上手く使えない。それでもヨロヨロ歩いて会場まで着いた。そんなわけで、「自公政権を終わらせ、共産党を躍進させる 南平岸住民の集い」へ行って来た
玄関に入って靴を脱ぎ、会場の案内を見ると2階だった。エレベーターはないので、階段を登るしかない。階段を見つめてグランマはため息をついた。息を切らしながら階段を登り切ると、すでに20人くらいが集まっていた。ちらっと見回しても、グランマが最年長のように見える。少なくとも見た目は。
開会の挨拶の後、NHKスペシャルを少し観ながら大家さんが話した。10年の歳月は大きいと思った。そう考えると、日野原さんや品川さんはすごいと思う。番組に抗議する人たちが産經新聞に載せた広告を見せてくれた。賛同者の名前の中に、「愛国三人娘」なんてのがいたけど、どうもうさん臭い。安倍晋三と中川昭一が仕切っているそうだけど。
続いて、コーラスが始まった。知らない歌をおじちゃんおばちゃんが歌っていても全然楽しくない。最後にみんなで歌いましょうと言われたけど、もちろんそんな気ない。でも、グランマが一緒に歌っていたのでよかった。これはボケ防止にいいかも。
最後は岡ちはる候補の話。赤旗を読もうと言っていた。スポンサーの大企業の悪口を書けない全国紙や地方紙よりもいいそうだ。2紙目にとる余裕があるならいいだろうけど、ソースがこれだけだとダメだと思う。とはいえ、道新なんかがいつも自民・民主のことしか書いていないのは確かだ。でも、自民・民主の他には、共産党以外にも、公明・社民・国民新などなど、他にも政党があることを話してなかった。
参加者のほとんどがアラウンド後期高齢者なので、高齢者の医療問題には力が入る。思ったのは、共産党支持者の年齢層がこれだけ高ければ、その高齢者に長生きしてもらわないと躍進どころの話じゃない。死活問題なのだろう。まあ、自民党も口では「お年寄りに安心を」なんて言っているから、どこも議席が欲しいのは変わらない。当選した後で公約を守るかどうかがちがうだけで。
公明党が主導した定額給付金のバラまきは、特定のところにだけ2兆円もの税金を使ったけれど、高齢者の医療費を無料にするというように平等に使わなければいけないというようなことを言っていた。でも、公明党の肩を持つ訳でもなんでもないけれど、定額給付金は「平等に」バラまかれたわけで、本来税金は、必要なところに重点的にバラまくものだ。社会的弱者を救うために使うべきだろう。論理が間違っている気がした。
麻生太郎が「子どもに未来を、若者に希望を、お年寄りに安心を」と本当に言ったかどうかは知らないけれど、自公政権で子どもに未来がますますなくなったのは確かなのだろう。宿泊学習へ行けなかった中学2年生の話だった。母子家庭で母親が15,400円?の費用を払えないので、仕方なくみんなを見送ったそうだ。母親は「そんな惨めなことをするな」と止めたらしいけど、その子は当日まで「一緒に勉強して準備したから」と言って出かけたそうだ。その子へみんな、買ってはいけないお土産をこっそり買ってくれたそうだ。公立中学校でこの有様。憲法が保障するはずの「ひとしく教育を受ける権利」が守られていないと言っていたような気がした。
で、憲法26条を見てみると、
1. すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2. すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
今のところ、中学校は義務教育だから、第2項からは無償じゃなきゃいけないことが分かる。おかしいね。親に学費の支払い能力がなければ、ひとしく教育を受ける
ことすらできないのが、今の日本の教育のようだ。
若者の話はちらっとだけ出て来た。きっと会場に若者がちらっとしかいないからだろう。
財源の話では、企業に社会的責任を果たさせることを強調していた。大企業を切り刻んで全部中小企業にする訳じゃないとも。
そりゃそうだ。リーマンショック以前の好景気で空前の利益を上げながら、法人税減税で内部留保を溜め込んだ企業に、好景気の立役者だった労働者に利益を還元させるのが当たり前だ。残業やボーナスがなくなって、正社員も住宅ローンが支払えずに家を手放すのだとテレビでもやっていた。好景気のときの債務があるとかってのは言い訳にはならない。そんなのはただの経営ミスだ。
自民党にもらった資料を見せられた。自民党の政策に対する経団連の評価の星の数が増えごとに、献金額が増えているというグラフだった。自民党は四半期ごとに経団連へ出向いている。法人税減税はあからさまだから、今は研究開発減税と名前を変えて、大企業を支援しているらしい。国税庁かどこかに問い合わせたそうだ。「北海道ではどのような企業が減税を受けるのか?」と聞いたら、資本金10億円?100億円?以上の企業が対象だから、トヨタやパナソニックなどの系列企業でなければ減税されないらしい。こういう減税を止めるだけで5兆円の財源が確保できるらしい。
経団連詣では民主党もやってるので、岡さんの個人的予想では、民主党は企業献金は禁止するつもりはないんじゃないかということだった。「ダイエットは明日から」というのと同じように、「企業献金の禁止は3年後」と言っている民主党は、絶対禁止しないそうだ。例が分かりやすい。そこら辺のおばちゃんやねーちゃんと考えることは一緒みたいだ。そうなると、4年間は消費税を上げないというのもかなり怪しい。4年経ったら絶対上げる。それまでは上げるかもしれないくらいだろうか。
経団連の指示を受けて消費税を財源にする自民党と民主党に対して、法人税の共産党はいつものように軍事費を廃止して財源に当てるという主張を繰り返している。この点は程度の差はあるかもしれないけど、社民党も同じだったような気がする。でも、今回の集まりでは軍事費がどのように無駄なのかといった議論はほとんどなく、「戦争は止めましょう。9条を護って戦争をしない国でいましょう」というような情に訴えるものだった。参加者に合わせて話を選んでいるのだと思うけれど、誰だって戦争なんかしたくないんだから、もっと改憲派にも説得力のある議論を展開させて欲しかった。
そういえば、農業政策の話もしていた。民主党の前原は、北海道の農業を「喉に刺さった骨」と表現したそうだ。「非効率な」家族経営農業は国際競争力のある農業にとっては邪魔らしい。石破も前原と意気投合したらしく、今度の農地法改正はそういう流れなのかな。民主党はアメリカとのFTA締結を公約に掲げているし、日本は自給率が上がるどころか、途上国並に外資や穀物メジャーに搾取されるようになるんじゃないだろうか。自動車や電機といった輸出産業保護のため、これからも生け贄として捧げられる。これまで「保守」でやってきた「田舎」の農民たちが、今回の選挙でどんな判断を下すのか。
とはいえ、自民党や民主党のエリート議員や2世・3世議員とちがって、庶民的なところに好感が持てる。選挙前には有権者に向って土下座していた武部が忘れられない。そんな候補者も、いったん当選してバッジを付けてしまえば、そんなことはなかったかのように国民の声も聞かずにふんぞり返る。騙されるのが悪いと言ってしまえばそれまでだけど。
いろいろ話したいことはあったけれど、グランマがいたので飲み会には参加せずに帰った。どうせ近くだから、今思えば出直してもよかったかも。同じ選挙区では、民主党が荒井さとしだったっけな?公示は10日後か。
明日は天気が良さそうなので、North Jam Sessionの前売り券を勝って来た。当日券より500円安いのは大きい。天気が良すぎて暑そうだから、ビールが飲みたくなりそうだ。チャリなら1時間以上かかるし、暗い中を芸術の森から帰るのはダルいな。車で行きそう。
辺野古の環境アセスメントの違法確認・損害賠償請求訴訟の原告参加の呼びかけが行われている。1日ほど迷った末、結局、手続きして来た。高尾山といい、なかなか現地へ行くことができないのにどうかとも思ったけれど、できることはやっておくべきだろう。台風が来ているし、沖縄まで郵便がそんなに早く着くとも思えないので、第一次原告団には間に合わないかもしれないけど。
沖縄の海を守るという環境の観点でも、米軍基地から沖縄を守るという平和の観点でも、辺野古への新基地建設を阻止することが大事だ。経費が思いやり予算から出されるという点では、日本の政策における「財源問題」でもある。自民党も民主党も平気で財源は消費税だと言っている今だから。遠いようで近い問題。
とにかく、沖縄の海でダイビングする前に、美ら海がなくなってしまわないように!まあ、その前にダイビングできるようにならねば。
最初に歯医者へ行ってから3週間が経った。虫歯5本を治療して、今日、歯周病の治療も終わった。
正直、最近の歯周病の治療の方が、虫歯の治療よりも辛かった。思った以上に痛い。うがいをすると、赤いものが出て来るので、気が遠くなる。でも、治療する人によって、痛さが全然ちがうのに気付いた。指名できないのが残念。
夏休みに入って南平岸駅前アニメ劇場となっていたけれど、今週からウサビッチも終わり、何やらピラミッドを建設している狩猟民族が奴隷を率いて蜂起する洋画に変わっていた。後で調べてみると、どうやら「紀元前1万年」という映画らしい。
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ちなみに、初めて南平岸駅前シアターで観た映画の「ナイト・ミュージアム」は、今日テレビで放送するみたいだ。
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歯周病の治療は終わったけれど、経過をみるために2週間後にまた診察を受けなきゃ行けないようだ。40 %近い歯周病を10 %まで減らすのが目標らしい。自分のためとはいえ、丁寧に歯磨きするのは面倒くさい。
今日もシャトラーの青空教室に誘われたので行って来た。席取り班だったけれど、歯医者へ行ったので、集合時間ちょうどに会場に着いた。
とりあえず、3人そろったので飲み始める。Kさんとはほぼ1年ぶりの再会だった。Wさんが来てからは食いまくり。でも、麻酔で口の右下が麻痺しているので、気持ち悪かった。暗くなって来ると、続々とメンバーがやって来る。えすきくんが間違えてバドへ行こうとしていたのにはウケた。
みんなと話しているうちに、会場の照明が消えた。帰れという合図だった。その後も30分くらい粘ってから解散。文字通り散り散りになって別れた。
冷静に考えると、自分が当たり前のように参加してるのが面白い。どんな人間も30過ぎると変わるんだろうか。それとも変えるのか。
謝肉祭でえすきくんがボルダリングやりたそうだったので試しに誘ってみたら、夜にNAC札幌店へまた行こうということになった。夕方、秀岳荘へ買い物に行くつもりだったところ、えすきくんも秀岳荘へ行ってクライミングシューズを買うつもりらしい。
秀岳荘で買い物を終えて、クライミングシューズのところへ行こうと2階へ行くと、ちょうどレジのところにえすきくんがいた。実は、エンサヤさんも来ていて会ったそうだ。こんなことなら腕時計を持って来てもらえばよかった。えすきくんもシューズのレンタルの必要がなくなったならここで登ればいいと思ったので、外壁へ行ってみた。一人だけ練習していた。
秀岳荘本店外壁へ来るのは、今回が2回目。前回はシューズを買う前にsotoに連れて来てもらい、ボルダリングのお試しをしてみた。その時は数回で腕がパンパンになって、握力がなくなってしまった。帰りの自転車ではブレーキが握れないのですごく恐かったのを覚えている。
とりあえず、課題帳を見て、簡単なのを探して挑戦してみた。1回目でいきなり成功。でも、こういうのは繰り返しできなきゃ本物じゃないと思って、もう一度やってみた。すると、もう握力がなくなって通せなかった。次もダメ。その次もダメ。15分で握力がなくなって終了。エンサヤ邸へ腕時計を取りに行く約束の時間まで、まだ1時間も残っている。
仕方がないので、えすきくんや他の上手い人たちのを見ていた。上手い人たちは指の力がすごそうだ。安定感がちがう。指がホールドにピタッと吸い付いている。
さすがにえすきくんも握力がなくなってしまったので、時間まで夕食を一緒にとって待つことにした。秀岳荘の斜め向かいの「龍なんとか苑」という中華料理屋へ入ってみた。何となく店の外に書いてあった激辛ラーメンが気になったので注文した。かんぽの激辛ラーメンがなくなって寂しかったからかもしれない。「辛くする」っと店のおばちゃんに聞かれたけど、激辛ラーメンを辛くするのは恐かったので、普通にしてもらった。
運ばれて来たラーメンは、辛さはもちろんだけど、量がなかなかだった。具も麺も多い。北大のそばだけある。6日ぶりの休肝日でも、胃は休みにならなかった。
食べ終わってから、アパートの焼酎臭い玄関を通ってエンサヤ邸へ行くと、友だちがたずねてきているらしく賑やかそうだった。寝不足でいよいよ辛かったので、誘いを断り腕時計を受け取ってまっすぐ家に帰った。自転車とちがって、握力がなくても車は運転できる。シャワーに入りたかったけど、眠くて仕方ないのでそのまま寝てしまった。
肉が食いたいというエンサヤさんの誕生日を祝って、みんなで肉料理を作って持って行くことになった。H多さんは早々と角煮を作ると宣言していたし、なぜか悠らりさんはケーキを作ると言っていた。とりあえず、鶏肉を使うとは言ってあったけど、えすきくんはビーフストロガノフを作ることに決めたらしい。はじめは鶏肉を煮ようかと思ってたけれど、全部煮物ではバランスが悪いので、オーブンで鶏肉を焼くことにした。
料理の名前は知らないけれど、10年くらい前にママンから教えてもらって何度か作った料理だ。もう10年は作ってなかったので、ほとんど忘れている。簡単におさらいをしてから、鶏のもも肉を買って来た。肉の余分な脂を包丁で取り除き、にんにくを押し付けて汁を擦り込む。塩こしょうをしてしばらく放置。その間に、玉ねぎとにんじんを薄切りに。エリンギが少し余っていたので、これも薄切りにした。
溶いた卵に肉を浸してから、パン粉を付ける。アルミホイルの上に薄切りの野菜を敷いて、その上にパン粉を付けた鶏肉を乗せる。あとは、これをオーブンで焼くだけだ。角煮やビーフストロガノフに比べて簡単すぎたかもしれない。
オーブンはH多さんの家のを使わせてもらうことになっていたので、アルミホイルで包んだ肉を皿に入れて袋に入れた。地下鉄で行こうかと思っていたけど、にんにくの匂いが気になるし、終電も気になるし、天気もいいので自転車で行くことにした。
肉の入った紙袋を下げて40分走るとH多さんの家に予定通りの時間に到着。早速オーブンを借りて焼いてみた。家のオーブンではいつも角皿を使って焼いているけど、今回は丸皿だったので焼加減が心配だった。そこで、H多さんのアドバイスで、表面に焦げ目が付いてからも肉を取り出さずに余熱で温めた。にんにくを擦り込んでいるだけあっていい香り。
時間になったので部屋から出ようとしたときに、エンサヤさんが車で迎えに来た。料理と酒を持ってエンサヤ邸へ行く。すぐに買い物へ出かけたエンサヤさんと入れ替わりに、えすきくんがビーフストロガノフを持ってやって来た。自転車で転んでこぼさずに持って来れたようでよかった。3人でビールを飲む。
しばらくしてからエンサヤさんが帰って来て、ようやく開始。乾杯して早速食べ始める。角煮が柔らかくて美味い。一緒に煮た里芋と卵も美味しい。一緒に作った塩豚もいい塩加減で美味かった。自分の鶏肉の料理も心配したほどひどくなかった。肉にも野菜にもちゃんと火が通っているし、待っていて少し冷めていたけれど、十分美味しく食べられた。H多さんがエンサヤさんのリクエストを受けて作ったしっとりクッキーも美味しかった。
えすきくんが編集して来てくれた「秘密映像DVD」を楽しんだ後、いよいよえすきくんのビーフストロガノフを食べることになった。バターライスにかけて食べると、えすきくんが心配するほど変じゃない。酸味があるというほどでもなくて、普通に美味しかった。ビーフストロガノフを食べるのはこれが初めてだけど、これなら自分で作ってみてもいいかも。
とはいえ、さすがに肉ばっかりでお腹いっぱいになった。酒を飲みながら盛り上がっている時、悠らりさんが遅れてやって来た。そして、取り出したのは得意のロールケーキ。悠らりさんが笑いながらケーキの包みを開くと、中から現れたのはきれいな三角の抹茶ケーキ。ロールケーキというよりは、おむすびケーキだった。でも、切ったらそれなりにきれい。問題はケーキだった。ちょっと硬くてパサパサしている。がんばって作った悠らりさんを気遣って黙っていたら、エンサヤさんがあっさり「硬いね」と言ったので、笑ってしまった。でも、和三盆を使っているので、クリームは上品な甘さ。
悠らりさんは先に帰ったけれど、何だかんだでそのまま酒を飲みながらエンドレスに話していた。途中、危険な話題になってしまったけど、無事に切り抜ける。最後には、エンサヤさんの仕事を手伝って図工の時間。両面テープを切って張って、写真を貼付けて。以前もこんなことがあったらしい。
結局、4時くらいまで飲んでいて、みんなで一緒に帰った。途中で、腕時計を忘れたことに気付くけど、面倒なので今度取りに行くことにした。
アメリカからJasminが帰って来ているというので、大雪から帰ったあとにママンと一緒に会いに行って来た。A川さんに会うのも久しぶりだった。Jasminの日本語は、ますますアメリカンになっていた。
Jasminは夏休みにイタリアへ行ってオペラの伴奏をしていたそうだ。イタリア語も向こうで勉強していたとか。そういえば、オペラって一度も聴いたことないな〜。話を聞いていてもまるっきり別世界。来日しても演奏しないらしくて残念。イタリアへオペラを聴きに行くしかないか。
A川さんは何かの試験で失敗したとかで少し落ち込んでいたけど、意外と元気。みんなでグラスワインを何種類か飲んだ。3杯飲んだら、さすがに疲れているせいか、すっかり眠くなってしまった。
とりあえず、ラーメンを食べに行こうということになったけど、行こうと思っていたけやきは行列ができていて止めた。仕方がないので、おじさんに教えてもらって、らーめん金太郎というラーメン屋へ行った。人が良さそうな大将のオススメの味噌ラーメンを食べる。素朴な味だった。確かに、最近流行の豚骨スープ系とはちがう。眠かったけど、食べている時だけは目が覚めた。
食べ終わって二人と分かれて帰宅すると、布団へ直行。
銀泉台を出発してから長い林道を走って、国道をしばらく走ると、ようやく層雲峡に着いた。セイコーマートで割引券をもらってから、朝陽亭へ行った。ところが、清掃中で温泉へ入れない。仕方ないので、向かいのホテル大雪へ。
浴室まで遠かったけれど、客がほとんどいなくて、最後には貸し切り状態だった。露天風呂から雨の層雲峡を眺めながら、ボーッとお湯に浸かった。
温泉のあとの昼食は、手打そば 日比谷 英へ行くことにした。前日に層雲峡へ来る手前でH多さんが目をつけていた店だ。層雲峡から少し走って駐車場に着くと、昼時だけあって結構車が停まっていた。田舎おろしを注文。店内にはオーディオマニアらしい高級そうなプレーヤーやアンプ、スピーカーが置いてあった。
肝心のそばは、太い田舎そばでコシがある。ちゃんとしたそば屋だと思ったのは、わさびが本物のわさびを使っていたから。つゆもそばに合っていて美味い。今度は田舎そばじゃない普通のそばも食べてみよう。
食べ終わると、みんな札幌へ早く帰ってしまいたかったので、すぐに高速道路に乗って札幌まで急いだ。山行自体グダグダだったおかげで、大雪山系から帰ったのに16時前には札幌に着くことができた。すごい。
ちなみに、急いだのは翌日のエンサヤさんの誕生会のプレゼントを作るためだった。肉が食いたいらしいから、みんなで肉のケーキを作るという話もあったけど、みんなで集まるのは難しいので、各自肉料理を持って行くことになった。
ザックカバーを忘れてかなりテンションが下がったまま銀泉台を出発した。
雨足は弱くなるどころか、だんだん強くなって行く気配がする。
山から帰る度に、花の名前を本で調べているせいか、みんなより少しだけ知っているようだ。とはいえ、この花はよく分からなかった。実際、帰ってから「新北海道の花」を調べても、形こそメアカンキンバイに似ているけれど、花の色がちがう。メアカンキンバイは黄色い花だ。そこで、「北海道の高山植物」を調べてみると、白花に近いメアカンキンバイの写真が載っていた。両方の本の著者であるうめしゅんのトークショーを聞いたときのことを思い出した。どうやら、これはメアカンキンバイの変わり花らしい。でも、やっぱりきっとウメバチソウ。
形はメアカンキンバイだけど、色が白い。おそらくウメバチソウ。
新北海道の花
著者:梅沢 俊 |
北海道の高山植物
著者:梅沢 俊 |
ぼんやりとした光に照らされながら、黒い雲から流れる筋は、きっと雨の奇跡だろう。
第一花園にはチングルマやエゾツガザクラなどが咲いていたけど、前日に裾合平でチングルマの広大なお花畑を見て来ているので、感動は大きくなかった。
ハイマツの林を歩いていると、足下に可愛らしいピンクの花を見つけた。
ハイマツの林を抜けると、目の前に雪渓が現れる。ここにはチングルマやエゾコザクラ、エゾツガザクラが咲いていて、まだまだ初夏の装いだ。
前日は久しぶりに雪を見て、雪渓歩きではみんなはしゃいだけれど、雨が降る中では滑って転ばないように黙々と歩いた。
奥の平を抜けて岩場を歩いて登って行くと、だんだん風が強くなって来た。駒草平では、もう雨は横殴り。岩陰でみんながやって来るのを待った。立ち止まっていたのは、リスが通り過ぎたからだったらしい。
ころちゃんが言っていた通り、女王はもうおばちゃんになってしまっていた。
赤岳まですら行かずに、駒草平で引き返すことになった。前日はまきさんから熊の親子が雪渓で遊ぶところを写真に撮るように頼まれていたけど、白雲岳どころか赤岳まで行くこともできなかった。帰りに他の登山客と何度もすれ違った。みんなこんな雨の中でよくがんばる。
結局、午前中のうちにパトロール事務所へ戻って来た。窓の外に、雨が降り続く山並みを見ながら、しばらくダラダラとすごした。昼前には二人にお別れを言って、温泉へ入りに層雲峡を目指した。
【修正】10/9/9 メアカンキンバイの白花ではなく、やっぱりウメバチソウ。
悠らリクエストにより、この日の宿は銀泉台。悠らりさんのおかげで、そんな特別な一晩を過ごすことになった。
旭川から銀泉台までは思いのほか遠い。去年、スピード違反の取り締まりで捕まった道を通り、それから無料道路を上川・層雲峡ICまで走る。国道をさらに走ってようやく林道へ入ると、そこから30分以上、長い林道を走って行くと、ようやく銀泉台のパトロール事務所が見えて来た。駐車場にも何台か車が停まっていた。もう辺りは薄暗くなって来た。
荷物を運び込むと、まきさんところちゃんが出迎えてくれた。荷物を運び込み、テーブルを囲んで酒を飲みながら楽しく話す。山の話は、さすがに山にこもっている人たちだけあって、いろいろなことを聞けて面白かった。恐くもなったけれど。
とはいえ、朝は5時前に起きたし、山歩きもして来たので、気付いたら眠くなってうとうとしていた。毛布をかけてもらって、横になって居眠した。目が覚めてからもしばらく話を聞いていたけれど、23時くらいには、みんな仕度をして寝た。さすがに、山の夜は短い。修学旅行みたいに消灯してからもしばらく話していた二人も、エゾシカの鳴き声を合図に静かになった。
翌朝、4:20、H多さんの目覚ましが鳴って目が覚めると、外は雨が降る音が聞こえたので、二度寝した。5時にも目覚ましが鳴ったけど、まだ雨が降っていたのでさらに二度寝した。いつまでも寝ているみんなを心配してくれたのか、今度はころちゃんが起こしにやって来てくれた。さすがにみんな起きた。
お湯を沸かしてもらって朝食をとった。作ってくれた野菜スープもごちそうになる。真夏と言えど、銀泉台の朝は結構冷え込む。
外は雨。たまに登山客が入山届に記入しに来るけど、みんなテンションは低い。
7時頃、「もうすぐ晴れるよ」というころちゃんの言葉に送り出された。
ロープウェイが出発するまでの5分くらいの間に、姿見駅の旭岳天空ギャラリーで開催されている奥田 實 写真展 「母なる大雪山」を大急ぎで観て回った。
写真は確かにきれいなんだけど、高山植物の写真は紹介的なものが多くて、グッと来る写真が少なかった。けれども、冬の旭岳山頂から撮ったんじゃないかと思われる朝焼けの美しさに息をのんだ。
時間があればもう少しゆっくり回りたかったところだけど、ロープウェイの改札が始まりそうだったので、ギャラリーから急いで戻った。
もう、この頃、姿見駅は雲の中。しばらく、ロープウェイからの景色は真っ白だった。ところが、雲から出ると、それまでが嘘のような強い陽射しが照っている。外は暑い。陽射しが眩しい。
何はともあれ、下山後は温泉。いつものように、湧駒荘へ行く。温泉からあがって休憩室にいると、すっかり眠くなってしまって、H多さんに起されるまで眠っていた。
温泉の後はもちろん食事。腹が減っているので、今回はオリーブへ行くことに決めた。前回はでかいカレーライスを食べたけど、今度はチキンガーリックステーキを注文した。運ばれて来た料理は、どれもご飯が多い。ステーキも足りなかったので、残ったソースでご飯を食べた。
近くのスーパーで酒とつまみ、翌日の朝食と行動食などを購入してから、16時頃、銀泉台へ向けて出発した。
去年、裾合平へ行ったときには、チングルマはみんな綿毛になってしまっていた。一面に咲き乱れるチングルマが見たいと思い、裾合平まで歩いて来た。
出発はゆっくりめで、6時に高速道路を通って旭岳へ向った。天気予報通りで空はどんより。最悪、裾合平へ行かずに、銀泉台でゆっくりしようかと話していた。ところが、旭川を過ぎて旭岳への直線道路を走っていると、目指す方向は明るく見える。近づくにつれ、青空も見えてくる。忠別ダムの辺りでは、もう青空が広がり夏の陽射しが降り注いでいた。
ほとんど満車の駐車場には9時前に着いたので、急いで仕度をして9時発のロープウェイに乗り込んだ。窓から正面には旭岳が青空にそびえているのが見える。思わず笑いがこみ上げる。
姿見駅で降りると、まずは姿見の池を目指した。逆光だけど、青空があるうちに見に行った方がいいと判断したので。
姿見駅の散策路の周りには、ミヤマリンドウの青い花がたくさん咲いている。チングルマは綿毛が多かった。
姿見の池へたどり着くと、期待したほど山容が映り込んでいなかった。姿見駅では無風だったけれど、さすがにここまで登ると少し風が出て来るようだ。
今回の目的地は裾合平なので、あまりのんびりしないで再び歩き始めた。
日が陰ってしまったのが残念だったけれど、裾合平までの登山道を花を楽しみながら歩く。
しばらく歩いて行くと、雪渓のそばに大きなチングルマが咲いていた。増毛やニセコに比べて花が大きい気がする。
裾合平までの道は、何度も沢を越えるアップダウンが続く。その度に、季節が少し戻って、エゾコザクラが咲いている。
裾合分岐には2時間くらいで着いたので、ここで一旦休憩をとる。少し休んでから、いよいよ裾合平のお花畑へ向けて歩き出した。しばらく歩くと、木道の両脇に一面のチングルマのお花畑が広がった。スケールがでかい。
気付けば、悠らりさんはチングルマのお花畑で休んでいたし、えすきくんとH多さんも少し離れたところで休んでいた。そろそろ頃合いだったので、自分も引き返すことにした。
H多さんが言うように、キバナシャクナゲはツツジに似ていると思ったら、調べるとツツジ科だった。
帰りはサクサク歩いて、姿見駅を13:30発のロープウェイに間に合った。行動時間5時間弱のゆるいトレッキングだった。登山でもないけど、念願のお花畑が見れたのでよかった。でも、もう1週間早く来ていた方がよかったように思う。といっても、先週末も雨。自然が相手なので難しい。
去年に続いて、今年もバドの青空教室に誘われたので参加した。今回は席取り班だったので、16:30に会場の大通西5丁目のサントリーへ。しばらくして席取り班の相方Nさんから電話があり、テーブルで合流。テント席がよかったのだけど予約でいっぱいで仕方ないので、普通の席で久しぶりに夏らしく厳しい西日を浴びながら、まずは二人だけで1杯飲んでみんなが来るのを待った。
17:30を過ぎると、だんだんと会場も混んで来て、前後のテーブルが埋まった。みんなも仕事が終わった順にやって来て、買い出し班が到着した時点で本格的にスタート。電話が鳴って、エンサヤファミリーも来ることになった。最終的に、友だちの友だちはみな友だちだという様子で、バドらしく集まった。話の内容が思い出せない。
ビアガーデンだと結局ビールしか飲めないので、いつもより多く飲んでしまった。それでも4杯かな。当然、家に帰ってからが辛い。ウコンの力を借りてもこれが限界。
(ケース) ウコンの力ウコンエキスドリンク 100ml×6本
発売日:2004/06/07 |
30日は、DのDO期3人集まって飲んで来た。いろいろ話したけれど、内容的にはやっぱり大学の話が多かった。なかでも、大学教育について共通した認識は、「大学へ遊びに来るヤツが多すぎ」ということだった。まあ、自分のことを棚に上げて言う訳じゃないけど、学費を稼ぐのにバイトで忙しい学生はともかく、大学全入時代に突入して、勉強する気がないのに大学へ来ている学生が多いという話だった。10年前よりもさらにひどくなっているように感じる。研究室崩壊も、そうした変化と無関係じゃないだろう。
で、そういう大学生を振るい落とす方法として、定員を削減するという提案があった。ただ、個人的には定員を削減しても、そういう大学生が入って来る余地があるので、個々の大学が持つ教育の能力に合わせて定員を定め、大学が要求する学力に見合った受験生だけ入学されればいいと思った。でも、これって本来は当たり前のことで、それができなくなっている制度の方に問題がある気がする。とはいえ、大学入試で燃え尽きても意味がないから、入学してからの教育も大事だけど。
もう少し考えてから改めてまとめてみよう。海外の教育制度も詳しく知らないので。
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