子ども・若者の生きづらさに心を寄せて
もうあんまり若くはないけど生きづらかったので、さっぽろ<子育て・教育>市民フェスティバル2009の講演会へ行って来た。札幌学院大学の富田充保教授の「子ども・若者の生きづらさに心を寄せて—情報消費社会と格差・貧困かの時代の中で」という講演だった。
天気も悪いし連休中日の朝、出かけるのが面倒だったけど、何とか会場へ。
講演の内容は分かりやすくて面白かったので、レジュメとメモを見て感想も加えながら適当にまとめてみる。
まずはじめに、幸福度のような数値を使った評価に懸念を示しながらも、小児科医の古荘純一が行った調査結果を紹介した。古荘純一は、ユニセフ幸福度調査で最高だったオランダに着目し、オランダ現地校・オランダの日本人学校・日本の学校における中学生について、QOL(生活の質)の調査を行った。QOLには「身体的健康度」、「情緒的ウェルビーイング」、「自尊感情」、「家族との関係」、「友だちとの関係」、「学校生活」という6つの項目があり、そのうち、自尊感情の評価は、「自分に自信があった」、「いろいろなことができるような感じがした」、「自分に満足していた」、「いいことをたくさん思いついた」という4つの質問からなる。調査の結果、どの項目でも日本の学校が最低だったが、特に、自尊感情の項目については他の項目より約10ポイント低い。一方、身体的健康と情緒的ウェルビーイングの項目では、現地校よりも日本人学校の方が安定していた。これらのことから、同じ日本(人)の子どもでも、自尊感情は大きく異なり、日本の学校では特に低いことが分かる。したがって、例えば、謙遜のような日本の文化的伝統・国民性の問題ではなく、生活世界と社会環境の問題だと考えられる。
日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか (光文社新書)
著者:古荘純一 |
確かに、インターナショナルスクールへ通った子どもと日本の学校へ通った子どもでは、明らかに様子がちがったように思う。同じ日本の学校でも校風によって多かれ少なかれちがいはある。けれども、このようにオランダと比較すると、日本の学校で中学生の自尊感情がこんなに低いということに驚く。日本の子どもの生活世界と社会環境に何か問題があると考えるのが普通だ。
続いて富田さんが紹介したのは、朝日新聞の「便所飯」の記事だった。自身もネットで真相を調べたそうだが、法政大学の尾木直樹教授の調べによると、トイレの個室でランチを取ると答えたのは400人中9人であり、今の大学生を必ずしも反映はしていないそうだ。ただし、2、3%という割合が高校中退者や不登校の割合と重なる。富田さんのゼミでも、学生たちは初めお互いにアンテナを張っていて、10人からでは議論すら始められない。照明すら誰も付けないので、学生たちは暗い部屋で教員が来るのを待っている。3人の少人数から議論を始め、6人、10人と段階的に人数を増やして、ようやく自分の意見を言えるようになるということだ。こうした実態は、孤立していることがあからさまになることへの恐怖、裏返せば「他者からの肯定・承認の困難と切実さ」を示している。
トイレの個室でランチを取ったことはないし、一人で食べているときに孤立していると感じたこともなかった。話がしたければ誘ったり誘われたり、逆に、一人になりたいときもある。少なくとも一部の「便所飯」学生のように感じることはなかった。むしろ、ゼミなり研究室なり、何らかの集団に所属していることで、ランチを一緒に取ることを半ば強制されることの方が嫌だった。良く言えば(日本の?)大人の社会への準備なのだろうけど、思い返せば高校の頃からすでに嫌いだった。そんなわずらわしさよりも孤立していると思われることが嫌なら、いっそどこかへ所属すればいいのだろうけど、きっとそれも上手くできないから「便所飯」になってしまうんじゃないだろうか。
富田さんが示したユニセフ幸福度調査(2007)における日本の突出はすごかった。「孤独を感じる」と答えた15歳児の割合は、最下位のオランダが2.9%であるのに対し、最高の日本は29.8%と、オランダの10倍にものぼる。さらに、日本は第2位のアイスランドの10.3%に対しても3倍となっていて、世界において突出している。
富田さんは、このことは主に、3つの複合的な要因の重なりだと考えており、一つ目は「 子ども・若者の生活世界と情報・消費社会の相互依存・相互浸透」と言っていた。ここで、情報・消費社会というキーワードが出て来たのは唐突だったけれど、説明を聞いて納得すると同時に、今の子ども・若者が気の毒に思えた。子どもたちは、いつ自分がいじめの対象になるか分からない環境におかれているようだ。雨宮処凛の体験を紹介していたけれど、自分が男で、たまたまそうしたいじめを受けずに済んだとはいえ、もしも自分が彼女のようないじめを受けていたらどうしただろうか。たぶん、殴る蹴るでボコボコにしてたと思うけど、とにかく、精神的にひどいショックを受けるのは間違いないだろう。自分も左翼じゃなくて右翼になってたかもしれない?
「生きづらさ」について (光文社新書)
著者:萱野稔人,雨宮処凛 |
そんな、周りからの嘲笑、攻撃の対象にならないための予防的・防衛的な対処として、同調し合うことで一時的に圧力を緩和しようとする。そのためのアイテムとして情報・商品が役割を果たす。例えば、いつもお菓子の新製品を持参して昼食時間の話題にするそうだ。けれども、情報・消費社会が生活世界を支配するだけで、基本的な安心は得られず、他者から肯定・承認されるわけではない。
お菓子の例以外にも、ゲームやテレビ番組なども紹介されたが、共通の話題を探すというのは、それほど特別なことではないように思う。いつも新製品を持参することはないにしても、周りが全く興味のない話を延々と続けるのは、……。ともかく、当たり前にやっていることだと思う。どこの山が良さそうだとか、あの板が良さそうだとか、思い当たらないわけじゃない。問題は、常にそうした努力をしなければ、いつ攻撃を加えられるか分からないという異常な環境だろう。「生活世界と情報・消費社会の相互依存・相互浸透」というよりも、生活世界で人間関係が不安定で流動的になる要因を他に探すべきのように感じる。
二つ目の要因として富田さんがあげたのが、「一番にならないと自分が保てない!?格差・序列化社会(勝ち組・負け組)の内面化:子どもたちの泣き叫び」だった。ここで紹介された例はすべての子ども・若者を反映しているわけではないと分かっていても、あまりに痛々しくて思わず唇を噛み締める。配布資料から小学校三年生においての報告を引用する。
真也君は、テストの点数をとても気にしていました。……漢字テストをしました。練習して来たはずの真也君が小さなミスをして九十五点になってしまいました。……テストを見た瞬間、彼はふるえながら小さくいらだちます。……「ああ、ぼくはダメだ。おかしくなっちゃう!」……「誰がこんなテスト作ったんだ。いらねえ!」あっと思う間もなく、席を飛び出して窓枠に飛びつきました。片足をかけてよじ登ろうとします。そして、「死んでやる。死んでやる!」と、叫び続けました。……わたしは、彼を誰もいないトイレに連れて行きました。……「つらかったかい」そのとたんです。……涙がどっとあふれてくるのがわかりました。……「でも、ぼくは間違えたらいけないんだ。間違えたらうちの子じゃないって言われるんだもの」。
感情教育 現代のエスプリ494号 (現代のエスプリ no. 494)
著者:大渕 憲一 |
「完璧でないと自分を認められない」、「ちょっとした失敗や誤りを許されない・許されない」、いい子で100点を取ったときだけ愛される、条件つきの愛情になっている。出発点として「そのままの自分でいい」という無条件の肯定への切実な願いが現れている。こうした傾向は、90年代後半以降の米英の新自由主義によるものである。
つまり、家庭や学校だけで起こっている現象ではなく、広く日本の社会に蔓延した価値観に、様々な世代、業種の多くの大人も経験していることだろう。企業なら成果主義がその典型だと思う。個人のレベルから企業のレベルまで競争で勝ち残って一番になることを要求される社会に、みんなうんざりしているんじゃないだろうか。リーマンショックが起こり、世界はそろそろ新自由主義との決別へと歩き出してくれるように思える中、その残り火とも思えるユニクロが10日にNHK経済ワイドvision eに登場して、世界一になるのだと息巻いていたのが気に障った。
要因の最後は、子どもの貧困と若者の労働現場の流動化だった。「私は、お母さんの重荷になっているんじゃないか!?」と考える女子高生。本来、高校生活を満喫する権利を肯定できない。子ども世帯の貧困率は、OECDの調査によると1990年の10%から2001年の14%、7人に1人へ増加し、トルコに次ぐ高さ。こうして、自主的な進路・職業選択を行うための人生経験そのものを制限される。なお、日本は貧困率を測定していない世界でもまれな国。また、非正規雇用・不安定雇用を拡大する政策が行われ、究極の使い捨て労働である日雇い派遣では、「私はいつでも取り替え可能な存在!?」と日々尊厳が踏みにじられる。
子どもの貧困や若者の労働現場について、今年はリーマンショック後の大きな変化を反映して、経済人の品川正治さん、ジャーナリストの竹信三恵子さん、経済学者の橘木俊詔さん、市民活動家の湯浅誠さん、弁護士の内田信也さんと、様々な立場からの日本の貧困についての講演を聴いた。同じテーマを扱うテレビ番組も多く、例えばは、先日「NHKスペシャル セーフティーネット・クライシス vol. 3 しのびよる貧困 子どもを救えるか」も放送されていた。今では、子どもの貧困や若者の不安定雇用の実態は、誰もが知るようになった。どうやって克服するかという段階に入ったのだろう。
子ども・若者が他者からの肯定・承認を得ることの難しさの要因としてあげたことを踏まえて、これからの子育て・教育をめぐるおとなの課題を示す。親が一番使う言葉は、小学生には「早くしなさい」、中学生には「勉強しなさい」、高校生には「勝手にしなさい」なのだそうだ。おとなは普段何気なく、「がんばってね」「皆仲よく」「コミュニケーション力・表現力を身につけないと」と言うけれど、「がんばっている」「同調性のある」「能力に優れた」人以外は切り捨てられるのだというメッセージになりかねない。
過保護な母親の話が紹介された。あまりにひどくて校長室に呼び出し、子どもを大切に思う気持ちを認めた上で、そうする理由を尋ねた。その途端、母親は泣き出して、自分が親に可愛がられた記憶がないことを告白した。普通なら過保護であることを注意して、肯定して受け入れることで心を開いた。このように、出発点として無条件で存在を肯定される空間を学校・家庭・地域に作り上げることが必要だ。
また、貧困と不安定雇用の現実とそれに替わる社会のあり方の可能性を学習課題にするという点に関して、派遣会社で働く女子高生による携帯電話を使った「プチ団交」は面白かった。女子高生は教師に労働者の権利を学んだ後で、派遣会社に仕事をやめると同時に、1回分の給料を支払うようメールで交渉する。「給料支払いの5原則をご存知ですか?」と女子高生が書いているところがとてもいい。春に観た女工哀史を思い出した。
女工哀歌 [DVD]
販売元:CCRE |
長く続いた自公政権も崩壊し、再生へ向けて日本は動き出した。子ども手当や高校授業料の実質無償化も政策としてあがってきた。いろいろ問題はあるけれど、これまで子どもは親が育てるものだという思想から、社会が育てるものだという思想へ変わるチャンスであると、富田さんも語っていた。こうした議論に高校生・大学生を巻き込んで行くことが必要なのだそうだ。
「出発点として無条件で存在を肯定する」と言葉で言うのは簡単だけれど、実際に行うのはなかなか難しいと思う。今までどっぷりと日本の文化・社会に漬かって来たので、他者を批判せずにまず肯定するところから始めるのは、かなり意識しなければならないだろう。それでも、できるだけやってみようか。
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