「チョコラ!」上映会&吉田泰三トーク
ピアノ発表会の撮影の後、宮の沢から西11丁目まで地下鉄に乗って、駅の近くのばぐばぐでスープカレーを食べてから会場へ行った。まだ、2回目の上映が行われているところで、とりあえずチケットを買って並んだ。みんな吉田泰三カメラマンの講演を聴きに来ているようだった。
上映が終わっても、客席はあまり空かなかった。どうやらみんな講演を聴いて行くようだ。空いている席に着いてしばらくして、講演会が始まった。講演会といっても、吉田さん自身がいわゆる講演はしたくないらしく、司会進行からの質問に答える形式で会が進んだ。
映画を観る前なので内容の細かい点についてはよく分からないのはもちろんだけど、それ以上に前日の疲れがひどくて、食べた直後ということもあってものすごく眠かった。ペンとメモ用紙も忘れたので、眠気に耐えられずに講演の前半はほとんど頭に入っていない。講演会を聴きに来た意味がない。
チョコラ!―アフリカの路上に生きる子どもたち (岩波ブックレット)
著者:小林 茂 |
後半で会場からの質疑応答が行われて、そこだけ記憶に残っている。特に、吉田さんの「日本の子どもたちは家にこもっていてもったいない」というような発言に対して、会場の若い女性、むしろ、声からすると女の子だろうか、抗議の声が上がったのが印象的だった。彼女は「日本の子どもたちもいじめなどで家から出られずに苦しんでいるけれどがんばって生きている。それなのに、なぜ、日本の子どもに対してそのようなことを言うのか?」というように、吉田さんの不用意な発言を批判していた。学童保育で子どもとも関わっているという吉田さんは、そんな彼女に対して、「君のような若者がいることに希望を感じる」というような見当違いと思えるような受け答えをしていた。励ますつもりなのだろうけど、少なくとも質問の答えにはなっていなかった。
ケニアの子どもよりも日本の子どもの方がマシというような考え方が悪いように思う。苦しんでいる日本の子どもにとっては、ケニアの子どもよりもきれいな家に住めるとか、たくさんの食べ物があるとか、そんなことは関係ない。それを知ったところで、日本の子どもの苦しい現実は変わらない。日本には日本の問題があって子どもが苦しんでいるのだから、ケニアの子どもと比較すること自体が間違っていると思って聴いていた。そんな質疑応答があったおかげで、少し冷静な視点で映画を観ることになった。
とはいっても、映画が始まると再び強い眠気が襲って来た。闘ってはみたものの、何度か意識が遠退いてしまった。それでも、映画に登場した子どもたちを見ると、ケニアの学校にもいじめはあり、学校へ行かなくなり、路上へ出て、シンナーに手を出してしまったりという現実があることが分かった。予告編を観たときには、路上でゴミを拾って強かに生きるストリートチルドレンを描いているのだと思っていた。けれども、映画本編を見ると、確かに強かに生きているようには見えるが、むしろ、子どもたち一人ひとりが抱えている問題が驚くほど日本と似ているように感じた。かといって、日本で同じように路上に出て協力して生活すればいいという話にはならないのだけど。子どもは大人を見て育つ。大人がまずすべきことは、子どもを追い詰め、苦しめているものを認識することなのだろう。おそらく、大人自身を追い詰めているものでもあるはずだから。映画を観てそんな風に感じた。
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