本音でものが言える環境
「本音でものが言える環境でとても大事だった。自分が自分でいられる場所だった」
加藤智大被告にとって、そうした大事な場所だった掲示板を荒らすなどの嫌がらせをやめてほしくて、事件は「(思いを)伝えるための手段」だったのだそうだ。
切ない。ここまで人を追い詰める日本が恐ろしい。しかも、その彼を罵る言葉が絶えない。たまたま自分たちがまだそこまで追い詰められずに済んでいるだけなのに、自分よりも少しだけ不幸な隣人を蔑むことで優越感に浸って安心を得る。明日は我が身となぜ思えないのだろうか。権力の思う壷。
ここは本音とウソのカオス。自分っていったい何だろうか。荒らさないでね。でも、たまにはコメントもよろしく。
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コメント
社会に出たら「本音でものが言える環境」って自分で
見つけない限りなかなかない気がします。
ただ乗りは本音のパラダイスかと思っていましたが
違ったのですか?(4月1日除く)
まぁ自分も良くうそをぼやいてますけどね。
投稿: やっち | 2010年7月30日 (金) 06時27分
>やっちくん
本音しか言えない子どもでもないと
程度の差こそあれ同じ状況なんだろね。
確かに、他のブログと比べたら本音のパラダイスかも。
投稿: H本 | 2010年7月30日 (金) 21時27分