死んだら責任取れません
今年は講演会「雪崩から身を守るために」に大幅に遅刻。
天気予報で午後から雨が降るということだったので、午前中はタイヤ交換。エレベーターがないので、3階と駐車場の間をタイヤをかかえて何度も往復するだけで疲れ果てた。タイヤにビス刺さっててショックだったし。正直、今年は講演会行かないかなぁと思っていたけど、msrnが車で出かけるときに北大に落としてくれると言うので、15時前には会場に入れた。
尾関さんの講演の終了間近でステージの近くの席に向かうと、ちょうど通路のところに立っていた大西さんと目が合ってしまったので会釈。席に座ると間もなく講演は終わって休憩時間。友達もたくさん講演を聞きに来ているようで、みんなさすがに意識高い。
続いて大西さんの「雪崩対策」。以前は雪崩事故事例報告だったけど、今年は榊原さんが担当して午前中に行われたようだ。午後だったら聞けたかもしれないのに残念。「雪崩対策」って内容が想像つかなかったけど、雪崩に遭う可能性をゼロにはできないので、リスクを下げることとレスキューをちゃんとできるようにするということだった。でも、レスキューは講演じゃなくて講習会とかじゃないと学べないので、講習会を行っている団体等が最後に紹介された。というわけで、講演の主な内容はリスク低減についてで、ハザード評価や行動におけるヒューマンファクターの危険性が映像を交えながら繰り返し指摘された。
確かこの内容は以前の大西さんの講演でも聞いた覚えがあるけど、ヒューマンファクターによる危険は常に意識していないと下げることができないので難しい。だから、思い切ってテレマークに移行してしまったり、痛板にしてみたりと自分なりに雪崩対策を行ってきた。でも、なかなかこれが理解してもらえない。
大西さんが引用していた「プロのガイドは斜度20度でもゲストを楽しませる」という言葉。これを自分に置き換えてみると「H本は斜度20度でも楽しい 」だ。テレマークなら緩斜面でも楽しい。さらに、痛板なら嫁と一緒にいるだけで楽しいw どうして大西さんが雪崩対策として、テレマークで痛板を紹介してくれないのか今だに謎だwww
大西さんの次の講演は船木さんの低体温症についてだった。中でも「低体温ラップ」の実演がすごくよかった。道警?とかのレスキューが雪崩とかの被害者を搬送するときに被害者を保護するのを真似て、現地で持ってる道具でなんとかやってみるというもの。外側のブルーシートの代わりにテントのフライ。硬いマットの代わりに銀マット。あとはシュラフやらを使って保温と体勢の保持。この低体温ラップに被害者を移して、最後にちゃんとロープで密閉して搬送できるようにするところまで実演してくれた。北大山スキー部にも感謝。
たいていコンパニオンレスキューは雪崩に埋没した人を掘り出すところまではやるけど、大事なのはその後の保温も一緒で、せっかく掘り出して助けても寒い外気に晒されたら急速に体温が下がって重度の低体温症になって助からなくなるかもしれない。そこにまで言及していてとても良かった。
ただ、実演を見ていて課題に感じたのは、日帰りのバックカントリーではそんなに装備は持っていない。以前、事故でレスキュー隊を待つ間に大変な思いをしたので、銀マットとお湯を沸かして湯たんぽを作れる装備はザックに入れるようにはした。でも、日帰りではシュラフなんて持たないし、被害者に防寒着を渡すと自分が寒くて辛かった。本当にもしものときを考えたら、自分の保温と被害者の保温をできる装備を持たなければ危ない。といっても、ザックは大きく重くはしたくないし、このバランスをとるのがいつも悩ましい。
そして、いよいよ講演会の最後の最後で阿部さん登場。いつものようにオーラをまといながらステージへ現れる。まるでオペラを見ているようだ。オペラ見たことないけどw まぁ、それくらいの迫力があるという意味だ。「死を意識しなさい」というこれまでも繰り返し聞いてきたセリフにはやはり重みがある。今回は「死ぬかもしれないと思って山に入るように」という感じでDQNにも分かりやすい噛み砕いた表現になっていた。
「自然を畏れなさい」というセリフを今か今かと待ち構えていたけど、今回は「死んだら責任取れません」という言葉に変わっていた。山は自己責任だけど、死んだらその責任だって取れない。だから山で死んではいけないということだった。これまでも「山で死んではいけない」という言葉を何度も聞いた気がするけど、そういう理由だったっけ?
山で死ななきゃ責任取れるわけでもないし、そういう責任のことを言い始めたら、事故や病気で普通に死ぬことすら許されなくなる。大事なのは責任を取ることではなくて、周りの人に理解してもらうことだと思う。死ぬかもしれないことをしている考えを理解してもらったうえで、生きているうちに周囲の人にできるだけよくすることだ。万一、山の事故で死んでしまっても「あいつは人生を楽しんでいたし、一生懸命やってくれた」と思ってもらえるようにする方がいい。少なくとも自分はそう思っている。もちろん、経済的な問題はあるだろうから、それだってちゃんと理解を得た上で。自分の欲望のままに勝手に山へ行くのはダメだ。妻子がいるなら当然。親だって老後の世話が必要になるのだから。
とはいえ、結局、阿部さんの話にいつも違和感を覚えるのは、阿部さんがミニャ・コンガの事故に罪悪感を抱き続けていて、それを他の人たちにも共感させようとしているからではないかと思う。狙ってやってるのかもしれないけど、阿部さんの話はいつも暗くて死の気配が漂っているような気がする。阿部さんたちの雪崩事故防止のための活動には心から感謝しているけれど、阿部さんの贖罪と自分たちの山への向き合い方とはまた別の話だ。阿部さんの話で納得する人はそれで結構だが、自分は違和感があってすんなりと受け入れられない。こんなことを書いたら阿部さんをディスってるとかってまた言われそうだけどw
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