差別の温床としての姓(氏)
夫婦別姓などの違憲に関する最高裁判決が今日あるようなので、この間ちょっと考えたことを。
まずはNHKの今朝のニュースを引用。
夫婦別姓・再婚禁止期間巡る裁判 最高裁判決へ
12月16日 5時01分
夫婦別姓・再婚禁止期間巡る裁判 最高裁判決へ 夫婦別姓を認めない民法の規定と、女性にだけ離婚後6か月間再婚を禁止する別の規定が憲法に違反するかどうかが争われている2つの裁判で、最高裁判所大法廷は16日、判決を言い渡します。明治時代から続く家族や夫婦の在り方に関わる規定の見直しの議論につながるかどうか注目されます。
民法には明治時代から夫婦別姓を認めず、同じ名字にするという規定と、子どもの父親が誰なのか争いになるのを防ぐため、女性にだけ離婚後6か月間再婚を禁止するという規定があります。
規定の見直しを求める人たちはそれぞれ裁判を起こし、「男女平等などを保障した憲法に違反する」などと主張したのに対して、国側は「規定には合理性があり、憲法に違反しない」などと反論しています。
2つの規定について、国の法制審議会は平成8年に夫婦が同じ名字にするか別々の名字にするか選べるようにする「選択的夫婦別姓」の導入や、再婚禁止の期間を100日に短縮することを盛り込んだ民法の改正案を答申しましたが、反対の意見もあったことなどから、改正は行われていません。
2つの裁判について、最高裁判所大法廷は16日午後に判決を言い渡す予定で、明治時代から100年以上続く家族や夫婦の在り方に関わる規定の見直しの議論につながるかどうか注目されます。
ちゃんと調べて勉強したわけではないが、確か高校くらいで姓やら名字については簡単に教わった記憶がある。もともと姓というのは貴族のもので、そこら辺の農民なんてのは「どこどこのゴン太」のように地名と組み合わせて呼ばれるくらいだったと。
面倒なのでWikipediaにリンクを張っておくけど、姓というのは政治的に利用されているものだ。男女の差別ばかりか「姓」=「家」による差別の温床となっている戸籍制度を支える「姓」自体をむしろ廃止すべきだ。
例えば、姓に使われる漢字で家のちがいが実は分かるということを教えてもらったことがある。「えんどう」というよくある名字。「遠藤」も「遠洞」もあるが、藤というのは「藤原」のように貴族が使うもので、藤を洞で置き換えているのは部落出身を意味しているのだと、当の遠洞さんから教わった。
北海道でこそ家の格がどうこう言うことは少ないが、内地ではおそらく結婚の時など問題になるのだろう。そもそも、そういう内地から逃げて来た人たちも集まる北海道なのだから当然だ。それにもかかわらずアイヌへの差別があるのは皮肉なことだが。
まあ、そんな感じで区別が差別へとつながっている姓なんてのは、いっそ無くしてしまってもいいというわけだ。
実際、日常生活において姓なんぞは必要ない。今は「H本」と呼ばれることの方が多い。姓で呼ばれるのはプライベート以外だろうけど、ちゃんと名前があるのだから、姓ではなく名前で呼べばいいだけだ。畏まって呼びたければ、「さん」なり「さま」なり付け足せばいい。
それでも、名前だと他人とかぶると心配する人がいるかもしれない。確かに、太郎さんはたくさんいそうだ。だから、かぶるのを避ける目的で、「姓」も自由に付ければ問題ない。とはいえ、姓と名を組み合わせた氏名がユニークなものならまだしも、同姓同名が許されるんだから、現行の制度でさえ不十分なのだけど。
また、家族は名前が同じ方がいいという考えもあるらしいが、配偶者の両親と同居してる場合は、家族でも姓がちがうだろう。核家族化した現代だから、こんなへんてこな考え方が出てくる。家族はもっと多様なものだ。
自分の両親は慣習に合わせて父方の姓を選んだが、正直なところ母方の姓の方が好きだ。珍しい姓の方が面白い。変えられるんなら今からでも変えたいくらいだ。もし完全に自由になるなら、何かアニメキャラみたいな厨二の姓にしたいw もういっそ「H本」にするとかwww
| 固定リンク | 0
コメント