死の舞踏
最初の山の日にJasminの演奏を久しぶりに聴きに行ってきた。
Jasminとは、9年前にアメリカへ行ったとき以来の再会だとはじめ思っていたけど、実は7年前に帰国したときに会っていたらしい。でも、そのときは演奏は聴いてないから、演奏を聴くのは9年ぶりでまちがいないはず。
ホームコンサートを開いてくれた9年前、JasminはIUのマスターコースだったけれど、今はもう音楽の学位も取ってサウス・アラバマの大学の助教授として教鞭を執っているらしい。自分なんかよりよっぽど博士らしいJasminに「はかせ」と呼ばれることに日常を感じつつ、前日の夜にはアメリカ旅行のメンバーの再会を祝って一平で食事をした。
その翌日、ちえりあで開催されるHIMESオーケストラの演奏会でJasminが演奏するということで、ずいぶん前にAさんからチケットをもらっていた。開演が17時なので、1時間前に自転車で家を出発して二十四軒駅から地下鉄で宮の沢駅まで向かい、20分前にはちえりあに到着した。ロビーにいたAさんと挨拶すると、ママンは席取りのために先にホールへ入っているらしい。予想以上に混んでいて、前日のコンサートとは大違いだw
前の方の真ん中あたりの席に座って開演を待つ。パンフレットを読みながら、久しぶりに生で聴くクラシック、9年ぶりで聴くJasminの演奏を楽しみに待った。ホームコンサートのときはともかく、それ以前に数回聴いたJasminの演奏では、自分のような素人は聞き覚えのないようなマニアックな選曲で、スクリャービンやファリャかアルベニスだったかスペインの作曲家の曲で、演奏中のJasminはステージ上で独特のオーラを放っていた。
そして、今回の演奏曲はリストの「死の舞踏 『怒りの日』によるピアノと管弦楽のためのパラフレーズ S.126/R457」。例によって聴いたことがない曲で、タイトルからして不穏な様子で、なんともJasminらしい。ちなみに、解説には次のように書かれている。
カトリック教会において死者のためのミサで歌われてきたグレゴリオ聖歌の一つである『怒りの日(ディエス・イレ)の旋律を用いて作られた。この旋律はベルリオーズの「幻想協奏曲」やリストの「死の舞踏」以来、死をイメージするものとして広く使われるようになった。リストはイタリアのピサで見たフレスコ画「死の勝利」から得た霊感をディエス・イレの旋律を使い表現したと言われているが、実際はこの絵画を見てから10年ほど後に作曲されており定かではない。曲は主題と5つの変奏曲、そして劇的な変奏のコーダで終わる。
Jasminの演奏の前にも数曲。歌は歌詞も全然分からないしあまり好きじゃないけど、クラシックを聴くのが久しぶりなせいか、以前より案外聴けた。拍手で登場したJasminは「衣装」と呼んでもいいようなドレスを着ていて、ピアニストっぽくなっていた。演奏も一段と凄みを増していて、ハンドルを握ると性格が変わる人みたいな感じで、前日に会った普段着姿のJasminとはまったく別人のような演奏。曲のせいなのかもしれないけど、ステージ上の雰囲気まで変わって緊張感が伝わってきた。観客席までその雰囲気に飲み込まれる。左後ろでずっと気になっていた咳も聞こえなくなった。
これはアルゲリッチの死の舞踏。
演奏が終わると大きな拍手に会場が包まれた。Jasminの成長ぶりにすっかり驚いた。休憩のときも演奏の余韻に浸っていると、ママンが呼ぶので会場の裏まで行って、次の予定のために会場をもう離れるJasminとお別れ。両親や友達とも別れの挨拶を交わしたJasminを見送ってから会場へ戻ると、後半が始まる直前で会場へ入れずに締め出された。
その後も楽章の間に滑り込むタイミングをうかがいながら、なんとか第3楽章の前に中へ入ってホールの隅にしゃがんで聴いた。シェエラザードはCDでは何度も聴いているので聴きやすいしいい演奏だったような気がする。
コンサートが終わって帰る人の波に押し流されながら会場から出た。今度はもっとJasminの演奏を聴いてみたい。今思えば、aya4 ojisanを誘えばよかった。
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コメント
今なら興味あります。
次は是非!
投稿: あやしいおじさん。 | 2016年8月31日 (水) 19時03分
>あやしいおじさん
いつになるか分かりませんが次は必ず誘いますね。
今度ジャズも聴きに行きましょう。
投稿: H本 | 2016年9月 1日 (木) 13時58分