イントゥ・ザ・ワイルド
かなり久しぶりに映画を観た。こんなときなのでもちろん映画館ではなく家のテレビでだけど。
DVDの発売開始後まもなく買ってはいたけど、これまでなかなか機会がなくて実家の棚に入れたままだった。ケコンしてからは映画館に行くことも少なくなり、家でゆっくり映画を観ることはまったくと言っていいほどなくなってしまったのも大きい。ところが、皮肉なことにコロナ禍のおかげで映画を観る機会を得ることになった。
ちなみに、調べてみると「イントゥ・ザ・ワイルド」が公開されたのはアメリカで2007年、日本では翌2008年9月で、DVDが発売された2ヶ月後の2009年4月にAmazonで買っていたようだ。もう10年も前じゃないかw
ところが、面白いことに原作「Into the Wild」の映画化を申し出た監督のショーン・ペンが許可を得られたのも10年後だったらしい。実話を元にした映画を製作することに対して、家族は気持ちの準備に時間がかかったそうだ。
公開から思った以上に長い年月を経て視聴することになったわけだけど、おそらく、10年前にもし自分がこの映画を観ていたとしたら、当時と今とでは感じ方はきっと違ったことだろう。10年前に観ておくべきだったかもしれないと思わなくもない。
アラスカといえば、AKと呼ばれてスキー・スノーボードにおける一つの聖地のような存在だ。プロのフリーライダーの多くが実力を示すかのようにAKで滑っている映像を残している。また、写真家、星野道夫がフィールドとし、亡くなったのもアラスカだった。登山家が登頂を目指す高峰、デナリ、かつてマッキンリーと呼ばれた山があるのもアラスカだ。主人公であるクリスが目指したのもそのアラスカの荒野だった。
ヘタレな自分には放浪の経験などあるわけはなく、海外旅行でさえ1週間程度の短いもの。交通費や宿泊費も十分に用意した安全なもので、冒険要素は皆無だ。ヒッチハイクもしたことがない。そんな自分にとっては、アラスカへ行くまでの2年にもおよぶ放浪、冒険にすっかり度肝を抜かれてしまった。
一方、アラスカでのサバイバル自体にはそれほどの驚きはなかった。もちろん、自分ができるという意味ではないけれど。鹿撃ちを中心に趣味で狩猟をしている友達は4、5人いるだろうか。釣りをする友達も少なくない。川の人もいれば海の人もいる。山菜採りは春スキーで恒例化しており、行者ニンニクから始まり、北海道では野生の植物を食べるのは決して珍しいことではない。おそらく友達の数名はやろうと思えば「Into the Wild」が可能なほどワイルドだ。
そんなアラスカでの生活の末、クリスが最後にたどり着いた言葉。
幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ
この言葉が身にしみた。誰かといても幸福を分かち合うことができなければ、その幸福は現実とならない。こう言いかえると、普段感じている生きづらさを強く意識させられる。
そもそもクリスが大学卒業後に放浪の旅へ出たのは、両親の不仲が原因の一つであったようだ。コロナ禍における外出制限によってDVが増加していると報道されている。つまり、夫婦が一緒にいないことで辛うじて家庭の秩序が保たれていたが、外出制限によって家庭での時間を共有するようになり、家族間の衝突が酷くなってDVへと発展しているということだろう。日本で夫の定年後に熟年離婚となることが一時話題になったことと通じる。所詮は子供を作るため、子孫を残すための手段としての結婚、システムとしての家庭であって、幸福を現実とするというのは理想にすぎないのではと思えてしまう。まぁ、現実に妥協するのかどうかだと思うけど、大抵は妥協した結果、コロナ禍の危機において矛盾が吹き出すのだろう。
自分は理想を求めすぎていると言われる。その自覚はあるけれど、妥協して不満を抱え続けていずれ後悔するなら、妥協すべきではないと思う。自分にとっての幸福とはなにかを知り、分かち合える誰かを見つけることが大切だと思う。
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